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'99-5 中欧

ポーランド ウォルスチン(Wolsztyn)機関区

私がここへ向かっている途中、すれ違ったOl 49型牽引の列車が

折り返しポズナン発の列車として帰りも正向きで、ウォルスチンに戻ってきた。

駅から客車を駅の側線へ入れ換え、切り離して機関車だけバックで機関区へ入る。

 

牽引はプレーリー機 Ol 49-100




まずはピットのある所に停まり、ガンガンと叩く様な音と共に灰が泥水として排出された。


 
その横に積み上げられた燃えカスから、ここで生きている機関車の多さを感じる。


 
給水と給炭の設備はすぐ近くにあり続いて行われる。
石炭は大きな山からベルトコンベアでトロッコに積む。


石炭を載せたトロッコは、クレーンの下まで押されて、吊り上げられる。


棒でロックを外すと、トロッコがひっくり返り石炭がテンダー上にあけられる。


次はバック運転となるようで、転車台は隣の線まで10度位しか回らなかった。


お腹(背中)を一杯にした機関車は元気に駅へ向かい、次の仕事へ就く。


Ol49牽引 レシノ行き普通列車へ

旅客列車だけではなく、SL牽引の貨物列車も走っているのが嬉しい。


この日は急行旅客用として造られた軸配置1D1のPt47が先頭に立った。




蒸気機関車博物館と言うことで、京都の梅小路機関車館の様なものだという先入観をもっていたが、

改札ゲートは無く、入場券はドイツから来たファンに教えられ、詰め所内の事務机がある部屋で払う。

場内には見学ルートどころか柵やロープも張られて無く、何処まで行って良いのか困ってしまう程。

働いている機関車の寝倉にもなるラウンドハウスの前では黒くなった作業服を着た職員と寮母らしい

おばさんが言い争いをしている場面もあって、機関区そのままという感じであった。

扇形機関庫は8線分と,それ程大きいものではない。


当初訪問を予定していた日は月曜日で憲法記念日(何とポーランドと日本は同じ日)であるとわかり、

博物館という意識が強く閉館を心配した私は、行程を変更して次の日に訪問日を変えた。

しかし、ドイツ人のファンの話によると前日の4月29日はSL牽引列車を増やし、

通常あまり運転されないパシフィック機 Pm36 や 1Cタンク TKi3 が使われたとの事。

日常的に走る蒸気機関車を見に来たのだとは言え,、ちょっと残念。


手前に停められていたOk22−31
1929年製で第二次大戦前のポーランドがプロシアP8(38型)をベースに設計した機関車。
大戦中はドイツに38 4536という番号を付けられたという。


機関庫に入っていた6両の機関車。
右からOk1−359、Ty2−406、Ol49−23、Ol49−?、?、Ty42−148


1917年 プロシアP8 (38型)として製造されたOk1−359。


Ty2−406 元ドイツ国鉄52型で軸配置1Eの貨物機。


手前がドイツから編入されたTy2型、奥はそれをポーランドで製作したTy42型。


第二次世界大戦の勃発の為2両で生産が打ち切られた純ポーランド製の急行型Pm36。軸配置2C1の1937年製。
流線型だった1号機は戦災に遭い、この2号機だけが残り。ポーランド鉄道150周年で復活。
鮮やかな緑色の車体は異彩を放ち、英国の機関車でも来ているのかと思った。
前日4月29日はポーランドでも憲法記念日でこの機関車が旅客列車を牽引したと
ドイツの鉄道ファンが教えてくれた。


Ty1−76 1919年製 元ドイツの58型、軸配置1Eの3シリンダ機。


Ty51−223、1957年製軸配置1E、
第二次大戦後アメリカにより援助されたTy246型をポーランドが再生産した型式。


Tki3−87、1908年製、軸配置1Cのタンク型機関車。
この機関車も前日動いたらしい。


Tkt48−143、戦後のポーランド製、軸配置1D1のタンク機。


テンダー機でも普通にバック運転しているが、
このタンク機は特に後ろ向きに走り易そうに造られている。


石炭用にクレーン車の姿もあった。


駅と機関区の間に留置留置されていた Ty5−10
軸配置1Eの貨物機で元ドイツ国鉄50型。


留置された機関車達、先頭は大戦後のポーランド製BR42と言えるTy43−123。


キャブとテンダーの連結面が並んで置かれていた。


無動力のラッセル車。


ディーゼルのラッセル除雪車も見られた。


保線車両も2種類走っている姿が見られた。


今度はクレーン付き。

Ol49牽引 レシノ行き普通列車へ

(2回目、2005年ウォルスチン機関区訪問はコチラ) 

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