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2025-8 東南アジアJR車両巡り

 Royal Railway Cambodia
キハ183系旅客列車
PASSENGER TRAIN


南線 プノンペン − シアヌークビル
Phnom Penh7:00発 - Sihanoukville13:36着
Sihanoukville14:00発 - Phnom Penh20:36着

早朝、プノンペン駅に着くと、3年前までは札幌で見られたキハ183系の姿があった。


発着案内の表示器はどこにも無いしホームの番線表示もない。島式ホームの両側にそれぞれキハ183系の編成が並んでいて、南寄りに停まっていたのはモノクラスの3両編成だった。


ヘッドマークはシールの様で”SOUTHERN LINE、PHNOM PENH-SIHANOUKVILLE”と書かれていた。


北側に停まっていた編成は中間車がハイデッカーグリーン車の3両編成。


こちらの編成は”NORTHERN LINE、PHNOM PENH-BATTAMBANG”と書かれたヘッドマークだった。


入口近くに立札が置かれていて、そちらにはヘッドマークとは逆でモノクラス編成の方がBATTAMBANG行きの様であった。
方向幕部分に貼られているシールは”PASSENGER TRAIN”と書かれているだけで号車を示す表示も無い。
扉は開いているが、まだ乗ってはいけない様だった。


妻面際の屋根脇やキハ183の前面上に目玉の様な監視カメラらしい物が設置され、一部の妻面上部には配電盤の様な箱が取り付けられていた。


しばらくすると乗降口にタラップが設置された。
編成の反対側も”SOUTHERN LINE、PHNOM PENH-SIHANOUKVILLEと”書かれているが南線バッタンバン行きで、先頭からキハ183-9561、キハ182-7557、キハ183-1555という編成。


シアヌークビル行きの先頭のヘッドマークは”NORTHERN LINE、PHNOM PENH-BATTAMBANG”となっていて実際の運行と入れかわっている。
こちらはキハ183-1503、キロ182-7553、キハ183-4558という編成。


カンボジア王立鉄道Royal Railway Cambodiaの情報発信はFacebookで行われているが、チケット予約販売のホームページがあった。


予約を進めると座席選択が出来るが、編成を見ると10両もあり、車両の上に”CARRIA”、”ASU”、”DMU”などの表記があり、座席番号は号車番号に関係するアルファベットと通し番号の組み合わせになっていた。
実際には3両編成であったが、併結運転は無理そうなので予約状況によっては続行運転を行うのだろうか。


1等First Classは数字とアルファベットA〜Cの組合せの座席番号でキロ182 500番台の座席とピッタリ合っている。


料金は2等で片道一人US$10、1等はUS$15で往路は2等、復路は1等にした。
他にTicket Surchargeとい書かれたUS$3がかかり、クレジットカード決済がPaypal経由となって手数料US$0.28がかかり、往復まとめて予約決済してUS$28.28(約4340円)


隣の線路には留置されていたキハ183があり、キハ183の3台並びが見られた。


バッタンバン行きを柱の間から覗かせたアングルで...。


ホーム端の方に進み、メキシコ製DMU、ドイツDUEWAG社製DMUから改造された客車編成を入れた並び。時刻表上はバッタンバン行きが20分早い6:40発で、その出発を撮影してから乗車しようと待っていたが、時刻を過ぎても出発する様子が無かったので諦めた。


乗車すると2等は車掌に人数を告げ座席を割り当ててもらうシステムで座席はほぼ埋まり辛うじて窓側に座る事ができた。


3両目キハ183-4558の車内、回転リクライニングシート2+2配列でJR北海道を引退した時から、ほとんど変わっていない。


特急大雪で乗車したキハ183-8564の車内、どちらも1550番台として新製されている車両で、違うのは枕カバーの大きさくらいしか判らない。2022年2月撮影


キハ183系500番台系列新製当時からの座席で、座席下の暖房器カバーが斜めになったのは当時としては画期的だった。


折り畳みテーブルやリクライニング機構も北海道当時のまま利用できる。


遮光はカーテンで座席番号の表示もそのままで「17C通路側AISLE 17D窓側WINDOW」などの本後も入っているが英語表記もあるので問題ないのだろう。web予約の座席表にあった通し番号などどこにも無い。


満席でなければ乗務員用としているのだろうか、最後列左側の2席は枕カバーが無かった。


多くの乗客が途中駅で下車して空いてから、こちらの17A/B席に移動して後ろ向きにして後方展望を楽しんだ。


貫通時は通路となるので運転室の脇にも扉がある。


戸閉操作スイッチもそのままで、カンボジア語と英語で手書きしたシールが追加されていた。


先頭のキハ183-1503。


こちらはJR時代に車内がリニューアルされていているが、JR北海道を引退した時から、ほとんど変わっていない。


折り畳みテーブルが座席幅いっぱいまで大きくなった新しいタイプの座席で、窓下に電源コンセントがあり、床はタイル風に模様となっている。
折返しのプノンペン行きでは最後尾となるこの車両はほぼ乗務員専用となっていた。


この車両の座席番号はシール状の物で荷棚部に貼られているが、最前列となる席だけはカーテンレールのカバーに貼られ2列目が11A/Bであるのに17A/Bと番号が飛んでいた。キハ183系末期の特急オホーツク、大雪で自由席車両でも最前列が「かぶりつきシート」として指定席扱いとされていて、その名残りど思われる。


かぶりつきシートになっていないが、通路を挟んで隣となる2席も座席番号がカーテンレールカバーに貼られ17C/Dとなっていた。


復路の後ろ側は通路との間の扉が開いていて運転台が見えた。


仕切扉の上にあった号車番号や指定席/自由席を示す札差しは撤去され、カタカナを除いた番号が大きく貼られている。その横にはキハから書かれた元々の車番表記がそのまま残っている。
広告スペースには列車時刻表をはじめとした営業案内が掲示されている。


洗面台、比較的後半にリニューアル工事が施されているので蛇口はセンサー式で丸形の鏡となっている。こちらもJR北海道時代そのままで、消毒済票も差されたままになっていた。


トイレの表示もそのまま日本語表記が大きい。


中も変わりなく、きれいに使われている。
トイレは洋式でオムツ交換台もある。


ゴミ箱と消臭剤や消毒スプレーが置かれている。


デッキと連結部、消火器はMORITAの日本語表記があるもので、JR時代からの物の様である。


戸窓に貼られていたJR北海道のキャラクター、モジャくんのイラストが引き継がれ、コメントがカンボジア語と英語になって更新されていたのは驚き。


オリジナルのモジャくんは、車内側から見る様にしか考慮されていなかったが、カンボジアモジャくんは外側からも読める様になっていた。


キロにある車内販売準備室のカウンターではスナックやカップラーメン類が販売されていた。
往路は座席がほぼ満席だったためか、乗務員がこの周辺に集まっていた。


復路はカウンターにカーテンが掛かり、JR時代と同じ雰囲気になった。


この車両がオホーツク・大雪に使われていた晩年には、ここの補助席を全廃となったブルートレインの名残りの様に懐かしがっていた事が懐かしい。


3年前、同じ車両で石北本線を走っていた時、同じ様な写真を撮影していた。2022年2月撮影


タイではB寝台客車がまだ現役なのでブルートレインの名残りと言う思いは薄らぐ。


カウンター脇にも時刻表が掲示されていて、目に付きやすい。


キロ182の車販準備室側は片通路になるのでデッキのステップ際に手摺が付いている。


反対側は普通のデッキで、この先の通路からスロープになっている。


そのスロープに面して車掌室の入口がある。


車掌室内も特に改造された様子はなく、各種スイッチの近くにカンボジア語が手書きされたシールが貼られていた。


車内放送のマイクもそのままで、各駅到着の案内放送前にはアルプスの牧場のオルゴールが流れていた。


車掌室向かいのスペースには、伸縮式の折り畳みステップが置かれていた。
各停車駅には乗降用ステップが常備されているので、こちらは通常の停車駅以外で乗降が必要な場合に備えた物と思われる。


元グリーン車のFirst Class
ハイデッカーグリーン車は上の方がカーブした窓が特徴で、登場時期はこちら方が早いがスイスSBBのパノラマ客車と似た構造になっている。


1+2配列でJR北海道引退時そのままの雰囲気。
この写真は往路に撮影したもので、進行方向右側が1人掛けで8番が最前列。


復路のプノンペン行きは左側が1人掛けとなる。
折返しのシアヌークビルでは乗車時までに3両とも全席の座席の向きが変えられていた。


客室両端の通路はスロープになっている。


抽選で当たった北海道新幹線試乗会の後、特急北斗でグリーン車に乗った時のキロ182-7551の車内。同一車両ではないが、異なるのは仕切扉上の「禁煙席」「指定席」や号車札と、その脇の1列側の壁のラックに車内誌が入っていて、その隣に広告スペースが無かった事と、枕カバーくらいだろうか?2016年2月撮影


私が高校に入った年の夏休み、北海道フリーパスのグリーン車用を使って道内を周った時に撮ったキロ182-500番台の車内、この旅ではキロ182-500番台に3回乗っていて、オホーツク1号ではキロ183-503(後に改造されキロ182-7503となる)に乗っていた。
登場当初のハイデッカーグリーン車キロ182 500番台は座席が2+2配列で客室側にはスロープが無く通路が1段低くなっていた。1988年8月撮影


座席は重厚に見えるがJR各社の列車と比べてもトップクラスのゆったり感がある。


最前列は仕切壁に折り畳みテーブルがあり、とても広く使えるが、足元は他の席より若干狭い様に見える。


1人掛け側、日本の車両なので当然であるが、座席と窓のピッチは合っていて、何列目に座っても同じ位置関係になる。


テーブル背面には座席設備の説明があり、元々英語併記があるので手を加えられず、そのままとなっている。


フットレスト、初期状態では床の絨毯、展開すると座席と同じ生地になり、説明書きは無いが他の乗客も靴を脱いで使われていた。


肘掛けにあるドリンクホルダー。


跳ね上げる様に展開する。


下にも段差が付けられているが、上のリングでコップなどが倒れない様になる。


肘掛け先端にPC電源用コンセント、背もたれ上方の片隅には読書灯がある。


リクライニングボタンと読書灯スイッチ。


コンセントも問題なく使え充電出来た。
このAタイプのコンセントはカンボジアではCタイプと並び一般的であるが、建物にあるコンセントはAC220Vで電圧に差がある。


遮光はカーテン式で、窓間にはカブトムシの角の様な形をしたフックが付いている。


First Class客室の先も通路がスロープ状となっていて業務用室とトイレ、洗面所がある。


こちらの通路と洗面所は照明が点かず暗い状態になっていた。
蛇口はレバー式で、後期にリニューアル工事を受けているキハ183-1503の方が良くなっている。


洗面所の向かいにある化粧室内は照明が点いていた。
キハ183-1503と左右対称なレイアウトでオムツ交換台が無い以外は設備的に同等。


定刻ではバッタンバン行きは6:40発、シアヌークビル行きが7:00発であるが、結局こちらのシアヌークビル行きの方が定刻より3分遅れで先に出発した。
窓の汚さもJR北海道時代そのままで、車窓からの写真が撮り難かった。


3両目の後ろ寄りの席に座り、満席状態で隣にも人が座っていたので席から振り返って後方の眺めを望遠で撮影、キハ183系はメキシコ製ディゼルカーの陰になり見えなかった。


駅を出てからしばらくは、生活感溢れる路地脇を走る。


30分ほど走ってようやく郊外らしい車窓になる。


その頃に検札がまわってくる。屋台でもQRコード払いをする人が多く、街中ではキャッシュレス化が進んでいると思ったが、切符はレシート状の駅で購入したものを見せている乗客が大多数だった。


プノンペンを出発してから2時間程、定刻より20分遅れて最初の停車駅Takeoに到着。
それなりの乗降があり、隣の人が降りたのかと思ったら駅で食べ物を買って来て、そういう手があるのかと思ったが、出発時刻も過ぎているので買いに降りる判断がなかなか難しい。


貨物列車との行き違い。


特急とは言えないが旅客列車の方が側線に入り、貨物列車が通過。


退避した後、列車が後進しだして驚いた。
推進運転で乗務員が後ろの方に来る事も無かった。


先頭車がポイントの手前となる辺りまで下がって、前進し今度はポイントをまっすぐ進む。


先程入った側線が行きどまりになっているのかと思ったら、ホームがある辺りに貨車が1両留置されていた。


その先にトロッコに乗った作業員がいた。


宿泊したホテルの周辺は池を埋め立てた地域で庶民的な飲食店が無く食料品の調達もショッピングセンター内に入っているイオンくらいだったので、前夜におにぎりを買っていた。
窓が汚く退屈気味で、比較的平坦な路線であるがダラダラとしたエンジン音は石北線を走っている感じで、折り畳みテーブルにおにぎりを置いて、ウトウトしてたら特急オホーツクに乗っている気分になる。


プノンペン駅を出て3時間程経つ頃、岩山が多く目に付く様になり、まるで願望岩という車窓があった。


こちらは、2020年遠軽を出発した84D大雪4号から見た願望岩、乗車記録を見るとカンボジアに来た車両ではなかったがキハ183からの車窓。2020年7月撮影


Takeoから2時間弱、2つ目の停車駅Kepへは約30分遅れで到着。
物売りの姿がなく、小さめな駅だと思ったが、乗客の半分以上がこの駅で下車していった。


Kepで同じ車両であるが、窓の汚れが少ない席に移った。田畑の眺であるが樹木に南国らしさを感じる。


放し飼いの牛の姿を時々見掛ける。


Kepから30分程で3つ目の停車駅Kampotに到着、定刻より約40分の遅れ。


車窓に変化があり、外が見やすいと退屈しない。


貨物列車がとの交換、牽引はディーゼル機関車6663。


今回は長い待避線でポイントが見えなくなるくらいまで進んだ。


すれ違った貨物列車は救急車の様なワゴン車を載せた車運車をたくさん連結していた。


その後ろにコンテナ貨車も十数両連結し最後尾に小柄なディーゼル機関車を連結したプッシュプル編成だった。この機関車はBde411はチェコ製で軸配置B。


その後、同方向へ進む貨物列車の追抜きがあった。


機関車は6535、貨物列車を牽引するのは6000番台の番号を付けられたアメリカンスタイルのディーゼル機関車が主流な様である。


その先にタンク貨車が停まっている石油積み込み施設があったので、追い越しではなく構内だったのかも知れない。


シアヌークビルに近付くと右側の車窓に海が見える区間がある。


大都市に入り、再び生活感あふれる区間に入る。


車は通れなさそうであるが、線路が生活道路になり.街灯が立ち並んでいた。


線路脇にあるドブ川沿いにも民家があり所々に橋が掛かっていた。


線路が枝分かれすると終点シアヌークビルに到着。


13:50、定刻より50分遅れ。
駅舎もホームもディーゼル機関車やメキシコDMUと同じ赤黄青のカンボジア鉄道カラーになっている。


駅周辺に他の建物はなく、草原の車やトゥクトゥクが集まっている。


古い感じだがベンチが並ぶ落合室があり、シアヌークビルより駅らしさがある。


木製の台枠に車輪を付けたトロッコ車両の様な物がひっくり返された状態でホーム上に置かれていた。


反対側のホームがある線路上でディーゼル機関車の修理が行われていた。


キハ183系が停まった向こうの線にはねじれて壊れかけたコンテナを載せた貨車が1両留置。


乗客を下ろした後、183系は更に先の方に進んでホームからの給油。


後ろのキハ183-4558から給油をはじめ順番に行われるのかと思ったが、この1両だけで終了した。


ホーム脇に石油タンクが並んでいた。


ホームが低いので、ホーム側からでも下回りが見える。


定刻なら出発時刻の14時頃になって人々が集まる辺りまで戻って来た。。


前進していた183系の陰になって気付かなかったが奥の線路にも6000番台の電気式ディーゼル機関車が停まっていた。


後ろが修理中のディーゼル機関車と並ぶ位置で停まった。


米国アルコ社のライセンス生産から始まりインドで自国のメータゲージ路線用に造られた機関車でマレー鉄道を経て10両が入って来ているとの事。
こちらの6633はターンバックル式の連結機で中央にバッファがある。


もう1両の6561は自動連結器がついていた。。


軸配置CCでボンネットがキャブと同じ高さになっている。


乗車口は先頭となるキハ183-4558の1ヶ所のみ、既に出発時刻を過ぎているので乗客が集中しているが、全体数は少なくFirst Class以外の乗客はデッキより前方に案内されていた。


定刻より10分程の遅れでシアヌークビルを出発、後ろの車両に遠ざかる駅と停まっている車両を見にいった。


シアヌークビル駅に来ていた売り子が粽を売っていたので購入。


どちらも餅状で甘みがあるものだった。


元グリーン車の窓は汚れが少なめで車窓が楽しめる。
片道6時間半の車窓だけでも差額US$5の価値は充分ある。


とはいえ、First Classだからと気を遣って窓を洗っている様子はなく、角度によっては汚れが目立つ、斜めで帯状な痕は埠頭に置かれていた時にあった張り紙をテープで止めた名残りではないだろうか。


牛の群れ、復路の方が多くの牛の姿がみられた。


1つめの停車駅Kampotで下車する乗客が意外と多く、乗車する人も多いだろうと思って、ちょっと下りてみた。


冷房の効いた車内から高温多湿な外に出てすぐレンズが曇ったが、気温が高いせいか一度拭いたら復活した。


車両はそのままでも、全然北海道らしさのない光景。


置いてかれない様、乗車客の様子に気を付けながら後部からも撮影して列車に戻ったが、乗降が終わってもしばらく停車していた。


対向列車が来る事もなかったが10分以上停車して出発、養殖池かも知れないが、リゾート的な雰囲気。


Kampotを出て30分くらい、隣の線路に小柄な機関車が見えたところでKep駅に停車、遅れは25分程になっていた。


こちらが停車すると間もなく、貨物列車は反対方向に動き出す。
コンテナは海上コンテナで大きな物は1個積み。


20フィートコンテナの2個積みもある。


アオリ板のある無蓋貨車にコンテナを載せているのもあった。


車掌室荷物車だろうか一部屋根のない部分もあるカンボジア鉄道カラーの車両。


隣の貨物列車はその後ろにワゴン車を積んだ車運車をつないでいて途中で再び停車、一番後ろの車両に移動するとこちらの列車が出発し、一番後ろが大柄なディーゼル機関車で後退していたのにヘッドライトが点いているのが見えた。


機関車の番号は6663で往路にすれ違った貨物列車だった。
待避線より長い編成だったので一旦バックしたという事がわかった。


乗っている列車が通り過ぎると、すぐさまポイントが切り替えられた。
そういえばどこにも信号がなく、スマートフォンで列車を撮影している鉄道員が目に付く事から、もしかするとインターネットやGPSで運行管理が行われているのかも知れない。


KEPを出ると岩場の車窓、車やバイクで列車を見に来た感じの人達も見掛け、この路線一番のビューポイントだと思う。


往路も気になった願望岩っぽい岩山、ハイデッカーグリーン車の窓からはハッキリと見られた。


この周辺では線路が大きくカーブしていた。


外が暗くなり、車内の明るさとちょうど良いバランスとなった。
復路はFirst Classの乗客は数名だけだったので反対側の車窓も存分に楽しめた。


最後の停車駅Takeoでも20分少々の遅れ、外はだいぶ暗くなり雨が降っていた。


プノンペン近郊の生活感溢れるエリアは、夜になると違った雰囲気になっていた。


暗い時間帯こういう所を歩くのは難しいだろうと思いながら、周りを暗くして車窓を凝視した。


多くのバイクが待つ踏切。


終着時は先頭車で前面展望、どちらが1番線か知らないがホームの南側の線に入り前方にはメキシコ製DMUが停まっていた。若干回復して定刻より13分遅れで到着。


ホーム1本だけだが頭端式の駅なので、まずは人が通らない後方を撮影。


それから前側に移動すると、もう他の乗客の姿はなかった。


間もなく列車はヘッドライトを点けたまま後退して行った。


少し先でしばらく停車。


10分程で同じホームに戻ってた。向こう側で給油してきたのかも知れない。




夜はライトアップされていたプノンペン駅の駅舎。


立派な建物であるが、駅としての機能はこの小さなカウンターだけ。


待合室は無く、他は携帯端末のショールームとカフェになっている。


今回、プノンペンでは線路近くに建つ高層ホテルに宿泊、ベランダに出るとプノンペン行きの列車のヘッドライトが遠くから確認できた。

スタンダードルームは線路と反対側という事で、少し追い銭してアップグレード、フロアマップを見ると確かにその通りだった。


ビールを飲みながら、しばらく前から見ていたのでわかったが、早着する事もある。


チェックインした夜に見た金曜日のシアヌークビルからの到着列車は2両目がハイデッカーグリーン車の4両編成だった。


その後に来たバッタンバンからの列車はハイデッカーグリーン車付きの3両編成で、金曜日はキロが2両とも活躍していた。


近付くとほぼ真下となるが、ハイデッカーグリーン車の窓と屋根でキハ183系だとわかる。


駅方向は、このホテルの陰となり見難い。


ベランダから身を乗り出しても踏切まで見るのが限界、隅に列車を入れて東寄りの夜景。


ホテルのフロントは30階にあり、その1階下にプールがある。
高級なホテルで入口でルームキーをかざすと行く事が可能な階が表示され、その中から選択し、中には階数のボタンが無いエレベーターなど近代的な設備になっていた。


乗車した土曜日の朝、日の出前。


カンボジアに来たキハ183系11両全てが駅構内に居た。


3日となる日曜日の朝はバッタンバン行きが出発するところを、こちらで撮影させていただいた。


日曜日は定刻より5分程の遅れでバッタンバン行きが先発していた。


日曜日で朝早くなので踏切ものんびりした感じ。


フロアマップを見ると、こちら側を眺められる部屋は、スタンダードルームの何倍もの広さがある部屋で1フロアに4室だけだった。


逆方向はロビー階のラウンジからも見えるが角度がキツイガラス越しとなる。


線路の向こう側には政府機関の巨大な建物が立ち並んでいる。


日曜日の2本目、シアヌークビル行きは38階の自室に戻ってベランダから撮影。


真下の眺め、キハ183系の屋根はきれいで、ホテルの建物は外観からすると45階くらいまでありそうだが、ベランダのある階は限られているので良い部屋にしていただけたと思う。また上階ほど細くなっているので真下にはプールが見える。


ホテルの線路を挟んで向こうに機関区がある。


機関区より西側にある建物は貨車の修理工場の様であった。


その先ずっと直線が続いている。


38階と言えば、札幌のJRタワー展望台T38から撮影した特急オホーツク。2018年9月撮影


宿に戻った時、音が気になりベランダに出てみると、車運車を連結した貨物列車だった。


ロビー階に下りて駅方向を見ると編成が分割されいて入換作業中の様子。
昨日、すれ違った後、折り返し列車で追い抜いた列車の車運車と思われる。


駅の方へ向かう踏切から。


駅に行くと、これまで気付かなかったがホーム南側の線は終端がスロープになっていた。


1台づつ貨車を伝って自走、オーバーハングが長い貨車だった。


貨車の間には渡り板を掛けて縛られている。


貨車の上のワゴン車はキハ183と同等な高さ。


先頭の貨車はスロープに直付けされている感じだった。


全ての車を降ろし空車状態となった貨物列車と本日留置のキハ183。


一旦引上げ、車を積んでいた貨車を連結して戻って来た。
機関車は6663で昨日見掛けた車運車編成の牽引機と一致する。


旅客列車がキハ183系でない車両で運行される月曜日の朝。


前日、車運車から車を降ろしていたホーム南側の線にキハ183系の3両編成が2編成縦列で停められ、カンボジアにやって来たキハ183系11両のうち北寄りにあるキロ182以外の10両がまとまっていた。


先頭車同士は間隔が離れているがパッと見6両編成に見えない事も無い。


2両のキハ183と保存蒸気機関車との並び。
留置されていた車両はキハ183系の運行がある日の日中に撮影出来たので、カンボジアに来た11両をひと通り撮影出来た。


土曜日に乗ったシアヌークビル行きの先頭だったキハ183-1503、発電機付きで定員確保の為元々は便所無しで造られているが、短編成の特急サロベツで使われる様になる際に改造され、デッキと客室の間に便所、洗面所がある。
前面の右側窓下に番号が書かれ、”NORTHERN LINE、PHNOM PENH-BATTAMBANG”と書かれたヘッドマークを付けていた。


特急サロベツは2017年3月ダイヤ改正で261系化され、その後の雪まつりシーズンに運転された臨時北斗の先頭に立っていたキハ183-1503。2018年2月撮影


土曜日の復路に乗ったシアヌークビル行きの中間車、キロ182-7553。


特急北斗の回送で自宅の窓から見たキロ182-7553。2017年12月撮影


土曜日のシアヌークビル行きの3両目で乗車したキハ183-4558、こちらも前面右側の窓下に車両番号が書かれ”NORTHERN LINE、PHNOM PENH-BATTAMBANG”と書かれたヘッドマークシールを付けていた。


特急北斗の札幌寄りに連結されていた。2017年2月撮影


土曜日は留置車で日曜日のバッタンバン行きの先頭だったキハ183-4559、こちらは番号が前面の左側窓下に書かれていて、ヘッドマークの掲出はなく中の蛍光灯やローラーが見える状態、5両あるキハ183のうち幌が付いていないのもこの車両だけだった。


同じく土曜日は留置車で日曜日のバッタンバン行きの中間だったキハ182-7561。


この車両は特急北斗の回送で撮った事があった。2016年3月撮影


土日ともバッタンバン行きの3両目だったキハ183-1555、前面左側の窓下に車両番号が書かれ”SOUTHERN LINE、PHNOM PENH-SIHANOUKVILLE”と書かれたヘッドマークを付けていた。


この車両はJR北海道での定期運行終了後に運転された惜別臨時列車に入り最後まで活躍していた。2023年3月撮影


土曜日バッタンバン行きの先頭で、日曜日は留置されていたキハ183-9561、前面の左側窓下に車両番号が書かれ”SOUTHERN LINE、PHNOM PENH-SIHANOUKVILLE”のヘッドマークを付けていた。


特急北斗の回送で撮っていて、このときキハ182-7561、キロ182-7552も同じ編成に入っていた。2016年3月撮影


土曜日バッタンバン行きの中間車で、日曜日は留置されていたキハ182-7557、中間車も妻面に車両番号が書かれ、JR時代にあった検査表記は消されていた。


見ていた3日とも留置車だったキハ182-502、前面と同様に妻面の車両番号表記は車両によって左右の違いがあり、反対側の妻面も同じ側面寄りに書かれていた。


こちらも見ていた3日とも留置車で一番奥に停められていたキハ182-508、どの車両も方向幕部の”PASSENGER TRAIN”のシールは付けられていた。


駅で見た3日とも留置車でホームより北側の線に停められていたキロ182-7552、貫通扉の窓には”グリーン車GREEN CAR”という文字が残っていた。


金曜の夜はシアヌークビルとバッタンバンからの両列車ともハイデッカーグリーン車が連結されていたので、この車両も使われているが反対側の貫通路には板で塞がれていた。


特急北斗の回送に入っていたキロ182-7552、札幌にある自宅の窓から見ていた時は、まだスラントノーズの183系初期型が陣屋へ行く前で、この後カンボジアどころか海外で活躍するなんて思いもよらなかった。


こちらの写真はキロ182-7553であるが、銘版は残され”新潟鐵工所昭和61年”という製造銘版がある。


昭和61年当時、私は中学生。ワム80000を連ねた貨物列車の後ろに斬新なカラーの特急型気動車が連結されているのを見て何度か撮影していた。1986年10月撮影


別な日はキロ182が2両、番号は判別できないが、後にカンボジアに行ったキロ182 502、503が入っているかもしれない。1986年10月撮影


キハ183系500番台は国鉄末期の昭和61年(1986)11月のダイヤ改正から営業運転を開始、特急おおぞらや北斗の一部はキハ183 500番台ペアで使われていたキハ184の他は500番台系だけで運用されていた。後の南千歳駅が当時は千歳空港駅で当時の空港ターミナルビルと長い通路で結ばれていた。1987年1月撮影


その他の気動車特急は初期型のキハ183系と共通で運用されていて、キハ184を先頭車改造した100番台もあり、先頭車の格好は日替わりだった。
1987年4月1日国鉄が分割民営化されJR北海道が誕生、その前後には”さようなら国鉄””こんにちはJR北海道”のステッカーがヘッドマークの上に貼られていた。1987年4月撮影


当時は黄金あたりでキハ183系500番台の北斗同士がすれ違う事が多かった。1989年5月撮影


JRになってから、新製車両は専用の列車で運ばれる様になり北海道内はJR北海道のDD51が牽引していた。1990年5月撮影


写真はキハ183 1563〜1566の回送リゾート用を除くキハ183系の最終生産車で、この中にはカンボジアへ渡った車両はない。1990年5月撮影


その後、キハ281系によるスーパ北斗運転開始に合わせ、特急北斗に使われるキハ183系もそれに準じたHETカラーに塗色変更される様になった。1993年8月撮影


2018年3月のダイヤ改正で特急北斗での運用がなくなり、キハ183系で運行される定期列車は特急オホーツクのみとなった。2018年9月撮影


2023年3月のダイヤ改正で特急オホーツクでのキハ183系の運用が終了した後にキハ183系ラストラン企画として各路線で臨時列車が運転された。写真はハイデッカーグリーン車3両連結の団体列車で、前方の2両が後にカンボジアへ渡ったキハ183-1555、キロ182-7553で他3両のうち2両はコンゴへ渡った。2023年4月撮影


ラストラン臨時列車の運行後は苗穂運転所の側線に留置されていた。2023年5月撮影


先に引退したキハ281-901の姿もありHETカラー各形式が揃った。2023年5月撮影


こちらに留置されていた5両のうちのキハ183、キロ182計4両は後にカンボジアに渡った車両だった。2023年5月撮影


人数を限定した撮影会も催された。(敷地外から撮影)。2023年5月撮影


2023年7月に19両のキハ183系が函館貨物駅に甲種輸送され、当初は全車シェラレオネに輸出する予定で、9月に第1陣として8両を載せた船が出航。
私は旧南部縦貫鉄道七戸駅構内で行われたレールバス夕暮撮影会の帰りに青函フェリーの夜行便に乗った際、到着前の船上から第2陣の11両を見る事ができた。2023年10月撮影


その後フェリーターミナルから函館貨物駅を経てキハ183系が置かれている場所まで見に行った。2023年10月撮影


第1陣を載せた船が出向して行った後で、シェラレオネの情勢が変化し輸出が白紙状態となり、この11両はこの場所で冬を越す事となった。2023年10月撮影


フェンスの間から広角レンズでキハ183-1503の後ろとキハ183-9561。2023年10月撮影


縦2列に並べられた間から先頭車が2両見え、うち1両は青スカートでこちらがキハ183-1503。2023年10月撮影


こちらの青スカート車はキハ183-1555で隣がキハ182-508、貫通路の塞ぎ板も日本から用意されていた。2023年10月撮影


キロ182-7552、ここに残った11両は2024年4月に船積みされカンボジアへと向かった。2023年10月撮影


それから2年足らず、その11両がプノンペン駅にいる。


今回の旅でカンボジアのキハ183系を撮った最後のカット。
2024年9月にはタイとの国境にあるポイペトまでキハ183系の試運転があり、定期運行は途中のバッタンバンまでとなり、2025年には別な国境地帯でタイとカンボジアの軍事衝突が発生した。
私も当初はバッタンバンまで列車で行き途中バスを使ってでも陸路でタイに入ろうと計画していたが、情勢の急変を恐れて往復とも空路とした。当事国の歴史的背景に詳しくないが、両国とも観光立国であり紛争が起きたら観光客が激減する事は目に見え、周辺国に工作を仕掛ける事が得意な大国が漁夫の利を得ようと企んでいるのではと心配になる。
元JR北海道のキハ183系がタイやカンボジアで活躍しているだけでも夢の様であるが、これらが動ける状態のうちにポイペトの国境を通じて列車が行き来できるようになり、両国のキハ183系が顔合わせする様になる事を願っている。


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