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2023-4 中欧
Eisenbaumseum Strasshof
シュトラースホフ鉄道博物館

traditionelle
Saisoneröffnung mit unseren Dampfloks
蒸気機関車シーズン開幕祭



1973年に設立された1.öSEK(第1オーストリア路面電車鉄道クラブ、1. österreichische Straßenbahn- und Eisenbahnklub )により1984年に開設された鉄道博物館。
20年前となる2023年前にも同じ時期に来ているがどの様に来たか覚えていなかった。
近郊電車S1線でウィーン中心部から1時間程のSilberwald Bahnhst駅が最寄りで乗って来た線路の近くを戻る方向で10分少々歩いたところにある。


今回は工場内から、1987年オーストリア鉄道150周年記念で復元された310.23、20年前にはウイーン西駅とのシャトル列車を牽引していたが、今回は車庫内で火は入っていなかった。


1911年製、軸配置1C2の4シリンダー機、最高速度100km/hで90両造られた型式である。


20年前に来た時はアクセス列車を牽引していた97.208。


当初は69.08で1892年製、軸配置C1のタンク機で18両造られた型式。


最高速度は30km/h、ギースルエジェクターなど近代化されているのもあるが1800年代の車両には見えない。


109.13、1912年製軸配置2Cのテンダ機で最高速度90km/h。


17c 372、1891年製軸配置2Bのテンダ機で最高速度85km/h。


20年前訪問時はボイラーが外され屋外に置かれていた。


197.301、1912年製軸配置Fのタンク機、ラックレールに対応し1978年までErzbergbahnで活躍した。


20年前に来た時も同じ辺りに停められ煙室扉は開いていたが、2003年まで稼働状態だった様である。


1”LAGERHAUS DER STADT WIEN”というプレートを付けた1912年製のB形タンク機、ウイーン市の倉庫で活躍した。


20年前は機関庫の前に出して展示されていた。


DT1.07、1935年製軸配置1B1、最高速度は100km/hで20両造られた。
20年前も工場内にあった。


最近のディーゼル機関車の様にランボード上ずっと手摺が付いている。


入換時の操車係用であろうか後部にも小屋があり大きなステップが付いていた。


キャブに入る事ができた。


ボイラーの中程からキャブになっているが、運転機器は後端付近にある。


機関室からの後方視界は扉の窓のみ。


機関庫の2階にも展示があり、庫内を見渡せる窓があった。


奥の方は電気機関車が多くなっているが排煙用の煙突が並んでいる。


52 100、周辺各国で計6000両以上造られたドイツ52型で軸配置1E、最高速度80km/h。


1943年製で第次世界大戦後は33-044としてユーゴスラビアで活躍した。


こちらは体験乗車列車として構内を走行。


20年前の訪問時は車庫前に展示だったので、煙を上げて動くのを見るのは初めて。
以前はシュトラースホフ駅とを結ぶアクセス列車のホームがあった線路を通るが、走行区間を少しでも長くということなのか更に奥からの発着となりホームは使われていなかった。


テンダー後方は水槽のみになっている。


展示車両の脇を駆け抜ける。


多数の蒸機が並ぶ転車台の脇も通る。


勾配はないので出発地に近い方が煙を望める。


近くに来ると5つの動輪が見えてくる。


人が少ない奥の方へ。


奥の方にも保存車輛は並んでいる。


左サイド、離れて横気味に撮るのはこれで一杯だった。


牽引するのは車体長12m程の2軸車3両、
12.3m 40 81 943 2 900,BDih47 933。


40 81 943 2 301Bih 39 572 なんと100km/hという表記がある。

3両目は38 654、奥まった台枠部分に表記があった。


戻りは推進運転となるので後部デッキには乗務員が立つ。


次の出発予定時刻が後部の渡り板裏側に書かれていた。


車内はクロスシート2+2配列向かい合わせ配置。
背もたれが高く、荷棚は座席上にある。


仕切扉は外側への開閉式で両脇には短い仕切が立っていた。


窓は下降開閉でき、閉める時に引き上げたり途中で止める時に使う革製のベルトが下がっている。


オープンデッキで連結部は渡り板と柵で結ばれ行き来可能。


かっての出発ホームの向かいに停まる静態保存機97 73を少し上から。


帰りは推進運転の前面展望を楽しんだ。


無線での誘導で出発地点に帰着。


ホームがある所はシュトラースホフ駅とのシャトル列車の乗り場を越えてバックしてゆく。


工場の前には保存車輛がぎっしり。


20年前の訪問時は、この様な状態だったので複雑な気持ち。
工場前から蒸気機関車のキャブに添乗して単機で構内走行できる場所が2コース用意され半分以上の線路が開けられていた。2003年4月撮影


工場脇で静態保存という感じだった58.744は1923年製、軸配置1Eのテンダ機、最高速度55kmで72台製造された。
20年前訪問時は転車台の周りに置かれていた。


97 73,1894年製軸配置Cのタンク機で最高速度45km/h。
20年前の訪問時には着いた時は屋外で夕方には工場内に収納されていて、容易に移動可能な状態だった。


番号は書かれていないがピカピカな状態の軸配置Cのタンク機が工場前にあった。


1930年製でWIEN-FLOAIDORF N.3007 1930という銘版が付いていた。


タンクには”ZUCKERFABRIK DÜRNKRUT”という大きなプレートが付けられていて製糖工場で働いた機関車の様であり、20年前には見られなかった。


54.14、1899年製軸配置1Cのテンダ機で最高速度60km/h。
20年前訪問時もヤード留置で後れは有蓋貨車が連結されていた。


20年前も蒸気機関車が並んでいた転車台周りであるが、車両や場所が入れ替わっていた。


78.606、1931年製軸配置2C2のタンク機。


この機関車は20年前訪問時には無く、2012年に来た様である。


156.3423、1920年製軸配置1Dのテンダ機で最高速度60km/h。


93.1403、1928年製軸配置1D1のタンク機で最高速度60km/h。


20年前は工場内だったのに今は屋外常設の様であるが、見た目は以前より良く煙突がギースルエジェクターに変わっていた。


55.5708、1887年製軸配置Dのテンダ機、山岳用で最高速度35km/h。


こちらも20年前から転車台エリアにありそのまま朽ちていった感じ。
当時はフィルムの時代だったのでテンダ側は撮っていなかった。


106、軸配置C、1868年製で皇后エリザベート鉄道の現存する唯一の機関車で”FUSCH”と書かれたプレートが側面にある。
色直しされている様で20年前よりは外観が少し良くなった。


テンダ機であるがテンダは無く後が見える状態だった。


229.222、1918年製軸配置1C1のタンク機、最高速度は80km/h。


20年前の訪問時には良い状態で夕方には工場内に収納されていた。


後ろ側を人道橋に通じる丘から少し俯瞰。


番号は見当たらないが29.852、1869年製軸配置Cのテンダ機で最高速度45km/h、この型式は1860~1872年の間に205両造られた。


20年前訪問時は同じ転車台の前列にあり、そのまま朽ちている感じ。


1655、1895年製軸配置Cのテンダ機、第一次世界大戦後はハンガリー国鉄の機関車となり1965年まで活躍し1969年にオーストリアに来た。


20年前訪問時は工場内で保管されていたが、外に出され錆びた状態になっていた。


33.102、1923年製軸配置2Dのタンク機、最高速度は90km/h。
20年前訪問時は工場近くで状態は悪くなかったが、連なった状態での留置で勘違いしたのか写真を撮り逃していた。


52 7594、デフなしキャブ付きテンダーで20年前に来た時は工場内保管できれいな状態だった。


42.2708、第二次世界大戦後のオーストリア製機関車で1946年製、軸配置1Eのテンダ機で最高速度80km/h。20年前訪問時は転車台の周りに置かれていた。


580.03、1912年製軸配置1Eのテンダ機、最高速度70kmで、この機関車は1957~1959年の間ギリシャに貸与されていた。


20年前訪問時も屋外留置であったが、工場の近くで比較的良い状態に見えた。


15.13、1910年製軸配置1C1のテンダ機で、最高速度は90km/h。
こちらも20年前訪問時は工場近くの見やすい場所に留置されていた。


35.233(429.1971)、1909~1916年に製造られた軸配置1C1のテンダ機で最高速度90km/h。
20年前訪問時もこの様な状態だった。


30.33、1897年製軸配置1C1のタンク機で最高速度60km/h。


ÖMV 1、1961年製、軸配置Cの無火蒸気機関車。


ディーゼル機関車の様ながいかんであるがキャブ下にシリンダがある。


同型の最終号機ÖMV 4(1973年製)はもっと奥の方に留置、20年前訪問時は1~4の4台あり、夕方には工場内に収納されていた。


構内列車で奥の方に進むとDZIというプレートを付けたB形タンク機が見えた。
1923年製で製糖工場で使われた機関車であった。
ここまで見られた蒸気機関車は31台。


985 120、1942年製、走行用らしいシリンダがありロッドが付きそうな3つの動輪があるラッセル車で、こちらの車両も20年前よりきれいになっている。


986 120、1942年製の蒸気駆動のロータリー除雪車、最近お色直しされた様である。


986 907、ロータリー車のテンダー。


966 300、1943年製蒸気駆動の操重車。


厚い鋼板製で非常に重そうなブーム。


966 070、こちらはエンジン駆動と思われるクレーン車。


先端はバケットを付けていた。


966 200、更に少し新しそうなトラス構造アームの1944年製クレーン車。


9766 040-6、こちらは伸縮ブームのクレーン車。


966 103、1934年製のクレーン車、3軸で折り畳み式のアウトリガーが付いている。


0622、1925年製のクレーン車。


8081 9788 901-3 テンダーの様で窓がある不思議な車両、1968年改造のタンク消防車との事。


1189.005、1927年製で軸配置CC、出力1900kW最高速度75km/h、イベント列車等で1998年まで動いていたそうだ。


1020.47、1954年製で軸配置CC出力3300kWの電気機関車、最高速度は90km/h。


屋外にあった1020.038-4、こちらはドイツDBのE94形として作られた1943年製で同じく出力3300kW、最高速度90km/h。


1080.01、1924年製で軸配置E出力1020kWの電気機関車、最高速度は50km/h。


屋外にあった1080 007-6、1924年製。



1570.01、1925年製で軸配置1ABA1出力1600kW、最高速度85km/h。


1670.25、1929年製で軸配置1ABA1出力2350kWの電気機関車、最高速度は100km/h。


1045.09、1929年製で軸配置BB出力1140kW、最高速度は70km/h。


反対側はボンネット状の張り出しが無く違った顔に見える。


1145.02、1929年製で軸配置BB出力1300kW、最高速度は70km/h。


こちらも反対側は張り出し無し。


屋外にあった1145.009-5、1931年製。


1245.04、1934年製で軸配置BB出力1840kW、最高速度は80km/h、1995年まで現役で活躍


屋外にあり011.01-6と書かれていた機関車は1934年製1245.01。


1062.07、1954年製で軸配置D出力770kW最高速度50km/h、ウイーン近郊の入換用で1995年まで現役。


1040.01、1940年製軸配置BB出力2360kWの電気機関車で最高速度は80km/h、2002年まで使われでいた。
先頭部の形状はEF58を連想する。


1040.008-3、1951年製、軸配置BB、出力2360kW、最高速度90km/h、部品が無く痛々しい姿だった。


1041.15、1953年製で軸配置BB出力2360kW最高速度90km/h。


メーカがスポンサーになっているのだろうか、ブレーキシステムの実演台が設けられていた。


屋外にあった1041 001-7、1952年製。


1010.02、1955年製で軸配置CC出力4000kWで最高速度130km/h、2003年まで現役だった。


1110 023-7、1958年製で軸配置CC出力4000kWで最高速度110km/h。


1141 022-2、1957年製で軸配置BB出力2480kW最高速度110km/h。


1141 028-9、1957年製。


1142 630-3、軸配置BB、出力4000kW,最高速度は150km/h、まだ現役機のある型式でGRAMPETCARGO AUSTRIAと書かれた貨物列車運行会社の塗装だった。


1044 501-3、1974年製、軸配置BB出力5400kWで241.25km/hという最高速度を記録した機関車。


1046 016-0、1959年製で軸配置BB出力、1600kW,最高速度は125km/h。
元々は荷物室がある4061形で1976年に1046形に変更され1987年以降に車体更新が行われている。先頭部の形状はEF66を連想する。


1046 019-4、同じく1959年製で車体更新が行われた車両。
ここまでの電気機関車で25台。


MBS ET10.106、1936年製で軸配置BB出力775kW、最高速度90km/hの荷物室付電気機関車で1994年まで使われていた。


ET10.003、1929年製で軸配置B2出力500kW、最高速度80km/hのEMU。


4010 022-4、1977年製で軸配置BB、出力2500kW、最高速度150km/h、電車的な動力集中方式の動力車。


6010 002-1、4010の反対側に連結される制御客車。ゼメリング鉄道を走るECで乗った事がある。


ディーゼル機関車b、
こちらは最初、機関庫内にあったが、気付いたら屋外にあり自走した様である。


2043 037-7、1971年製、軸配置BBの液体式ディーゼル機関車で出力1104kW、最高速度100km/h。


2043.53、1973年製、NÖVOGの観光列車「Reblausexpress」用の塗装。


2143 037-6、1972年製、軸配置BBの液体式ディーゼル機関車で出力1115kW、最高速度110km/h。。


2143.066、1975年製。


2143 072-3、1977年製。



2045.20、1955年製、軸配置BBの電気式ディーゼル機関車、出力368kWx2機、最高速度90km/h。


センターキャブであるがボンネットはキャブと同じくらいの高さがある。


2050.02、1958年製、軸配置BBの電気式ディーゼル機関車で出力1119kW、最高速度100km/h。


2050.04、同じく1958年製、エンブレムが付きナンバーとラインの位置が違う。こちらの方がきれいだったが、中国の東風4を連想してしまった。


2067.04、1959年製軸配置Cの液体式ディーゼル機関車、出力442kW、最高速度62km/h。


駆動部と3つの動輪がロッドで結ばれている。
キャブに”Johanna”と愛称が書かれていた。


2067 090-7、1975年製。


MORIZ、1957年製 軸配置Cの液体式ディーゼル機関車、出力280kW、最高速度25km/h。。


その反対側。


「MARTHA」と書かれたプレートが付いた入換機 1942年製で出力は114kW。


2066 001-5、第2次世界大戦で被害に遭い1954年に復旧された3軸の電気式ディーゼル機関車で出力147kW。


2060.04、1954年製2軸の液体式機関車で出力147kW。


2060.74、1958年製の同型式。。


X260 086-2。


除籍され機械扱いでXが付くのだろうか。


DH200 B 26 T、1964年製、出力147kW、こちらは細部が異なっている。


2062.33、1961年製2軸の液体式機関車で出力294kW。


2062 055-5、1966年製、サイド気味から見ると大きく感じる。


WDW I、1957年製、出力76kW。


JW50、1960年製。


X130.01、1933年製、出力80kW。


Kö 5159、1944年製、出力51kW。


RL8、1941年製、2軸で出力137kW。
ディーゼル機関車はここまでで26台。


X170.01、1963年に改造されたバッテリー機関車で出力35kW。


B4VT5042.14、1936年製、最高速度110km/hの気動車。


B4VT 5145.01、1952年製の気動車、最高速度は115km/hで国際急行でも活躍しベネチア、プラハ、ベルリンまで結んでいた。


B4VT 5145.11、1954年製、こちらはエンブレムが付けられていた。


6645.02、その反対側の先頭車、動力集中方式なので制御客車ともいえる。


5046形、両運転台のローカル用の気動車で最高速度100km/h。


6546.217-8、こちらは非動力。
この様な系統の車両は沢山並んでいた。


BVT 5081.15、1965年製の2軸のレールバス、最高速度は90km/h。


前後の車両と比較して車高が低いのがわかる。


X534.28。


X512.08、1963年製ディーゼル駆動の架線保守車。


X626.148、保線機械であろう。


99 81 9485 546-1、ほぼ同形に見えるが車両らしい番号が付けられていた。


975 6 908-6、個性の強い地下鉄車両の様にみえるが、事業用客車の様である。


すぐ後ろが扉であるが簡易運転台でもついているのだろうか。


その他客車も多種多様。


51 81 89-80 010-2 Salon10、1966年製、大統領や賓客用の特別車両。


Pw4ü 105733、1938年製、表記はUSFAという文字と紋章だけで、そのまま自動車が載せられそうな大きな開口部がある。


A4ipüh 12 005、1931年製で急行に使われてきた1等客車。


B4Ipüh32 614,1930年製の客車で1956年にビュッフェ付の客車にあらためられた。


974 0 901-0 Wohnwagen,事業用客車と思われる。


No901、BARWAGENと書かれた跡があり、20年前はシャトル列車ホームの向かいに停まっていた車両だった。


床下マウントされた客車。


スイス風な低い車体の客車。


956 500、別の所で展示されていた車両がこちらに引き取られてくるケースもあるようだ。


2軸車も多い。


番号は台枠に書かれていたかもしれないが見ていない。


Bi 38 275、1955年に鋼製車体化された2軸客車。


朽ち方が激しい木造客車。


厳しい状態からも修復される車両もある。


Pwi 64 218、1929年製2軸の荷物・郵便客車。


150 1 288-0、1960年製の2軸有蓋貨車。


H 2351、1891年製の2軸無蓋貨車。


11 1182、1875年製の2軸の有蓋貨車


外観を撮り忘れたが、貨車20 426は野戦病院として用いられた時期の状態に復元され内部が公開されていた。


荷物車の傍らにホームを走る構内運搬車の姿もあった。


周りは静態保存機ばかり並んでいたが、転車台自体は動態で、試乗回転が行われていた。


今回は時間がなく見られなかったが、庭園鉄道や鉄道模型レイアウトもある。


構内奥の方に柵で囲われた新しい客車が留置されていた。


営業運転デビュー前の新しいNightjet用の客車で、こんなところで見られたのは驚きだった。


全周が囲われ、反対側は奥の方が林状態で見えなさそうだった。


柵の間から出来るだけ全体を撮影。
車体表記は無いが  73 81 5291 511-7 BcmZ-511(-26.5m-)49300kg
ÖBB nightjet Pl011M75/Liegewagon と書かれた紙が窓に貼られていた。


こちら側は窓が2段になり、4つの窓まわりを1ブロックで黒塗されていて、塗り幅は同じくらいだが窓は上段の高さ方向が狭いのがわかる。
この新型クシエットMiniCabinには翌年に乗車する事ができた。


新しい車体に蒸気機関車のシルエットが映った。


特殊な連結器で幌の内側にあった。


構内運転列車からも見えた。


車体からは柵を避わして撮る事ができた。
2軸客車の蒸機列車が青い車体に映る。


並んでいたのはBcmz、簡易寝台クシェットばかりで6両連結されていた。


大型蒸機とブルートレイン、いつか牽引しているところも見て見たい。


並ぶ新旧客車。


途中の電車から、1014形電気機関車が大量に留置されている様子が見えた。
それほど古そうには見えないが既に第一線から退いている様で博物館で見られる様になるのも遠くないのかも知れない。


20年前となる前回訪問時と比べると、動いていた蒸気機関車が1台だけで、それもドイツ形がったのは残念で、車両が増えすぎて手が回らない感じもあった。しかし今回姿が見られなくなった15台以上の蒸気機関車には他の保存鉄道で活躍しているものもあるのだろう。
それにしても、こんな大規模な博物館が鉄道愛好団体により運営されているというのは日本では信じられなく、素晴らしい。


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