鉄道世界旅行 Domestic

ふれあいらんど岩泉
ブルートレイン
日本海
Nihonnkai
Fureailand-Iwaizmi


岩手県下閉伊郡岩泉町

15:00〜チェックイン
     〜10:00チェックアウト


公共交通機関でのアクセスは三陸鉄道岩泉小本駅からバス。
ちょうど上下の列車交換で新旧の36形が並んだ。
他にJR山田線茂市駅からバス乗継という方法もある。



岩泉小本駅は岩泉町役場支所などと合同の立派な建物で屋根のあるところからバスに乗る事が出来る。



バスは小本川沿いに内陸へと進み、下車する少し前になると青い車体が川の向こうに見える。
(写真は帰りのバスから撮影)



道の駅いわいずみ のバス停で下車、その先にあるT字路を左折し橋を渡って道なりに、バス停から700m弱の道のり。



先にブルートレイン客車が見え、その手前にセンターハウスがある。



センターハウスでチェックイン手続き、道の駅も早い時間に閉まるので、食料事情を心配していたが、飲料品やアイスクリーム類は豊富でインスタント麺も販売されていた。



センターハウスの奥に食事などに利用できる部屋があり、お湯や電子レンジが用意されている。



鉄道模型もあるが、小さな子供が来るとプラレールの様に扱われて、すぐ壊れてしまうとの事だった。



ふれあいらんど岩泉はオートキャンプ場やコテージ村のある広い広大な施設で子供が遊べるエリアもある。



ウッドデッキ付のトレーラハウスもある。



コテージも散在して建ち、ブルートレインビューそうなコテージもあった。



ブルートレイン客車はカーブした線路上に連結された状態で3両並んでいる。



その傍らには駅名標スタイルで、ふれあいらんど岩泉、龍泉洞-小本海岸と書かれた看板が立っている。



一番うしろ(客車なので)はオハネフ25 121、金帯でゴロンとシートのステッカーが貼られている。
ゴロンとシートはブルートレイン「あけぼの」で設定されていた指定席特急料金で利用できるB寝台で毛布・シーツや浴衣などのサービスを無にしてB寝台との差をつけられていた。



2両目はオハネ25 151、どちらのB寝台車も新製時から2段ベットの比較的新しい客車。
A寝台はもちろんだが、元々上段固定で造られたB寝台に宿泊できるのもここだけかも知れない。



3両目が今回宿泊するオロネ24 5、ブルートレイン末期までこの車両が連結されていたのが寝台特急「日本海」だった。



各車両片側の乗降扉に階段が設置されて出入り口となっている。
車体は綺麗に再塗装されているが方向幕がちぎれいたのが痛々しかった。



客室窓の片隅上に小窓が付いているのが特徴で、内側のカバーを閉めると白く見える。



2008年7月に撮影した青森行き日本海に連結されていたA寝台車がオロネ24 5、その車両そのものだった。



喫煙所や更衣室がある側、宿泊した時にこちら側から撮っていなかったのが悔やまれる。2008年7月撮影



その日本海のうしろ姿、牽引はEF81 106敦で最後尾は4番違いのオハネフ25 125だった。日本海で金帯客車という印象はなかったが、撮影していた。2008年7月撮影



入口の折戸から入ると、向かいの扉の前には靴箱が立っていて、使い捨てタイプのスリッパが用意されている。



ステップの段差部が、玄関の様に靴を脱ぐ境界にされている。



出入りする側のくずもの入れ投入口の下にも靴箱が設置され、元々そこにあった箱は連結部に移動され、別のゴミ箱が設置されていた。



デッキから中に入ると車両製造時「喫煙室」として造られた座席スペースと更衣室、反対側には車掌室と物置のあるエリアがある。



元「喫煙室」は通路が中央にあるプルマン式において寝台の状態では寝たばこになってしまう為に用意された場所で、ちょうど座席状態にした1ボックス分相当の座席があり、現在ならミニロビーや談話スペースとされる様な場所で、当然ながら現在は全面禁煙である。



窓際には大型の折り畳みテーブルがあり、ステーは板状で横にスイングしてセットする構造、その両脇には撤去された灰皿の取付穴が残っていた。



元「喫煙室」の奥に更衣室がある。



扉は更衣室の内側に開き、寝台側の仕切扉に鏡とテーブルが取り付けられている。



勿論ブラインドが掛けられるが、室内幅全体程に及ぶ大きな窓が付いていて、折り畳み式の椅子も用意されている。



折り畳み椅子の上方にはフックが取り付けられている。



折畳み椅子を出した状態で、扉を開けてもギリギリ干渉しない様に考えられていた。



扉は上下が開放され、ストッパゴムが扉側に付いている。
鏡の脇にもフックがあり、その下に照明のスイッチが取り付けられていた。



寝台のある客室や、元「喫煙室」の座席脇の通路は絨毯が敷かれているが、更衣室前の短区間だけ絨毯でなかった。



その反対側には車掌室と物置があり壁になっている。



物置はシャッター式、「物置 BAGGEGE」という表示があるが、乗客の荷物を置けたのか、備品類だけだったのかわからない。



車掌室はオハネフより少し広さを感じる。



座席背面の操作盤、
行先表示幕の対照表を見ると72コマの多くが空欄か(白紙)で、日本海、あけぼの各1往復分と回送、試運転、臨時の計7コマだけだった。



向かい側は机が2段になっていて、その上に荷棚もある。



更に手前に大型の折り畳みテーブルを拡げる事ができる。



折り畳みテーブルを出した状態の車掌室内全体。
窓の脇に縦方向の蛍光灯照明がある。



折り畳みテーブルのステーは、寝台座席や旧「喫煙室」の大型折り畳みテーブルとは異なる構造だった。



電源が入っていたプッシュ式の液晶モニター付電話機は、岩泉で連絡用に取り付けられたものであるが、ダイヤル式の黒電話も並んでいた。他に列車無線の電源やブレーカなどは残されていた。



非常用コックのロープの先に手動式のバルブがあり、空気圧力計が付いていた。



非常用コックは扉付で通路側からも操作できる様になっていた。



扉を開閉する車掌スイッチはデッキにあった。



そして、その先が客室のA寝台。
宿泊料金は上下セット(2名まで)で設定されていて通常期3,600円、ハイシーズン4,200円。(2022年)
列車の頃はブルートレイン末期で下段10,500円、上段9,540円の寝台料金の他に特急券と乗車券が必要だったので激安。
尚、B寝台は向かい合わせ上下(4名まで)で設定され、通常期4,800円、ハイシーズン5,600円なので2名で泊まるならA寝台の方が安くなる。
昨年までは、どちらも1両貸切という単位での料金設定で、今年から利用しやすくなった。



全て上段は降ろされ、下段は座席状態となっていた。



上段は元々電動式なので動かす事は出来ないが、下段は手動で寝台にする事が出来る。



上段は梯子が隣接する様に、入口や頭の向きが1マスごとに逆になっている。



寝台番号を表す表示は左右とも仕切ごとに取り付けられていて、見える側の寝台を表すので表面と裏面で番号が違い1寝台につき2カ所に表示される。番号の上にはAの表示もある。



そして、両側梯子で通路が極端に狭くならない様に左右で千鳥配置になっている。



上段は梯子の無い方に読書灯や小窓があり、梯子側を足元側にして寝る様に想定されている。



梯子はB寝台と同じく両側に平行四辺形を描くように折り畳む構造で、各寝台個別に使える様になっているのでB寝台に比べ横幅は倍くらいあるが、奥行きとなる桁の太さは同じくらいなので、素足で上がると痛い。



片側を折り畳んだ状態。



両方折り畳むと、折り畳まれた柱ごと更に折り畳め背もたれ側に収納する事ができ、とても良く出来ていると思った。



通路から張り出すような形の梯子、両側はピンが挿さる形で固定される。



支柱部分は2段式の蝶番になっていて格納できる。



上段を昇降させる為のスイッチは、梯子の無い背もたれ部の脇に付いている。



寝台昇降スイッチがある場所の上に、緊急脱出で窓を割る為のハンマーを格納するための箱がある所もある。



それを開けるとハンマーは無く、固定金具だけが付いていた。



利用予約が入っている所だけ布団や枕、シーツが用意されている。



座席時は向かい合わせのボックス席、グリーン車扱いは見劣りするが、寝台利用の乗客だけなら2人利用になるし、ヨーロッパでは固定座席向かい合わせの1等席も少なくない。



この状態だと上に圧迫感があるが、末期の日本海でも下段の座席転換は自由で、上段は上げていなかった様だ。
窓際には大型の折り畳みテーブルがある。



折り畳みテーブルは、プレート状のステーをスイングさせ嵌める構造で、折り畳み時は壁と面一になる。



下段を寝台にセットする時は、座面を軽く持ち上げ手前に引き出す。



寝台時に座面の脚が載っかる場所に鉄板が、敷かれている。
その脚は座席状態の時には少し浮いている。



座面の両サイドにあるスライドレールに傾斜が付いて少し下がる様になっていて、座面を引き出した時と座席状態の時で高さが違う。



両側とも引き出し寝台にした状態。



座席時の枕部分も跳ね上げる事ができる、座面や背もたれは隅に丸みがあるので、列車時代はマットレスが敷かれていた。



ここではマットレスは無く、シーツと枕、掛け布団をセットして寝台の完成。



下段も梯子の無い側を頭にする想定で、寝台状態にすると読書灯と鏡がある。



跳ね上げられる枕部の片側にはストッパの役割をするリンクが付いている。



背もたれに隠れる部分の通路寄りには鏡があり、先端が球状となった細い棒を挟む構造で、角度を無段階に調整できる。



反対側の枕部分も跳ね上げられ、こちらは上を棚として利用しやすい様に頭側より角度が浅くなっていて、下の背もたれ裏部には先端が折り畳み式のフックが付いている。



カーテンを閉めた状態。



寝台内で足を延ばして座った状態と同じ枕側からの眺め。



横になった状態からの眺め、上面窓際にハンガーが掛けられるフックが付いている。



上段寝台、1枚物のクッションで寝心地はよさそうだが棚は一切なく、列車当時は荷物をベット上の脇に置くしかなさそう。



通路際に低めな仕切り板が付いているが、梯子がある入口部分は切り抜かれた状態になっている。



梯子を上がった向かいの壁にも手摺があるが、ベット幅があり遠いので昇り降りする時には手が届かない。



上段は平行になったリンクのうち下側のシャフトが駆動して上昇し、水平になっている小さなリンクで駆動部より下のカバーが畳まれる様である。



上段は壁面に読書灯、鏡、小窓がまとまって配置されている。



上段寝台から外を見る為の小窓は、金属製カバー付き。



鏡は下段同様に上向きに調整できる。



頭側の仕切壁に、先端が折り畳めるフックが付いている。



上段を折り畳むと、ここまで上がってくるのだろうか?向かいとなる足元側の仕切壁には固定式の小さなフックが付いている。



マットレス無しの下段より列車時代に忠実かと思って、上段にシーツや布団を敷きかえた。



低めな仕切り板もあるが、1本だけ転落防止ベルトも掛かっている。



カーテンを閉めた状態の寝台内。
頭側のカーテン際に電源コンセントが設けられ、携帯端末やバッテリの充電などが出来る。



上段のカーテンには通気の為の窓が付いている。



上段で横になった状態の眺め。



暑くないので必要ないが、通気窓部分を開けてみたら車内減光はされないので明るかった。



通路の絨毯はゴージャス感がある。



座席下に足元灯があるが、車内の減光はされないので点かない。
こちらの宿泊施設になってからの物と思われるが、その隣に電源用コンセントが設けられている。



両端の寝台横通路上に天井から吊るされる格好でクーラーが設置されている。
そういえばタイで乗車したプルマン式寝台車にはこの様な感じで荷棚が付いていた。



床下からクーラにダクトが延びている。



客室中程には火災通報ベルも増設され天井には火災非常灯が取り付けらている。



端部寝台の梯子は片開き、仕切扉脇にある非常口の表示等は、宿泊施設になってから設けられたと思われる。



端部の寝台番号表示は仕切部に取り付けられ、デッキ側が13・14番になっている。


2カ所ある洗面台のうち1つは新しい物に交換されていた。



もう1ヶ所は寝台列車当時からのもので、こちらも使う事が出来る状態だった。



客車3両で組まれているので、このオロネ24が編成端、この貫通扉の先にも階段が設けられているが非常口のため「通り抜け出来ません」と書かれている。
尚、寝台列車当時も大抵はこの先に電源車が連結されていて乗客が通る事はできなかった。



トイレも2カ所並び、どちらも引き戸。



和式と洋式1カ所づつあって、和式の方は今も利用可能となっている。
車両のトイレが使える宿泊施設もここだけだったと思う。



洗面台と仕切の間に冷水器があり、小窓が付いている。



この日、B寝台の利用客はゼロだったが、テールマークの幕を回せる様にオハネフのデッキに入れていただけた。



B寝台も同様にステップの低い部分で靴を脱ぎ玄関の様に使われている。



斜めになった客室との仕切扉には鍵が取り付けられた。



両側に乗務員室があるオハネフの後ろ側。



車掌室、北斗星スクエアのオハネフ25 0番台と比べると結構違いがあり、まず入口部座席の切り欠き方が異なる。



背面の操作盤も上の方にまとめられ座りやすくなっていた。



JR東日本で末期になってからの改造であるが、窓は降下式から内開きになっている。



後方のレイアウトは変わってないが、100番台で平妻になっただけ奥行きが拡がっている。



オロネの車掌室と同様に、現在使える岩泉町内緊急通信用電話とダイヤル式の黒電話が並んでいる。



乗務員室扉まわりの内側も結構違いがある。



向かい側の乗務員室、こちらは0番台と比べるとかなり広くなった。



こちら側にはブレーキハンドルがある。



窓際にある折畳みテーブル。



背面の特に下の方がスッキリして、背もたれに背中を当てられる様になった。



貫通扉の内側、テールマークの裏にあたる場所。
列車当時と現在の注意書きが並んでいる。



テールマークは手動で回すことが出来る様になっている。
列車引退時と同じと思われる現在のテール幕は先程の様に貼り出されているが、カバーの裏にはもっと昔の幕の順番が書かれたシールがあり、紀伊、彗星、つるぎ、北星まで全盛期のブルートレインの愛称全てが揃っている感じであった。



テールマーク幕回しは、1コマづつ回して撮るので結構時間を要するが、着いた時は暗かったので、朝も早起きしてもう一回行った。



基本のは施設名になっている「日本海」、2006年3月ダイヤ改正からJR東日本の編成で運行される様になり金帯車も入る様になっていた様であるが、個人的には日本海で金帯という印象は薄い。



次の幕は「あけぼの」、ゴロンとシートのステッカーが付いているのもあり、この車両の正しい姿と思える。



「出羽」、元々羽越本線経由で秋田行の寝台特急で金帯車が入る前に廃止されているが、意外と似合う感じがした。



「北斗星トマムスキー」、冬場に運転されたトマム行きの臨時列車で金帯の北斗星用客車で運行されていたが切妻の100番台ではなく、折戸で雨樋があるので違和感がある。



「北斗星」、こちらも同様、真正面だと下帯が伸ばされた末期の200番台に見えない事もないが、雨樋が気になる。



「エルム」、北斗星と同じ区間をB寝台のみのモノクラス編成で運転された臨時列車で、北斗星同様の違和感がある。



「はくつる」、金帯車で運転されていた、あさかぜ1・4号の廃止と同時に583系から客車化され、金帯車も多く入っていたので、イメージが合う。
場所的に近いので施設名としても日本海より良い感じがするが、はくつるにオロネ24は使われた事がなかった。
そう思うと、ゆうづる の幕があったなら・・・。



「鳥海」、あけぼのが奥羽本線経由だった頃に、羽越本線まわりで青森まで結んでいた列車で、秋田新幹線開業であけぼのが羽越本線まわりとなる形で消滅した。
あさかぜ1・4号廃止より後まで残っていたので金帯のオハネフも使われているかもしれないがイメージはない。



「出雲」、雨樋と車掌室窓の改造前には、この車両も使われていたかも知れない。
朝は陽が出ると完全逆光になるので、夕方早めに着いて撮影した方がよかった。



「さくら」、20系の後はずっと14系で、末期には銀帯の15形が入った事もあったかも知れないが金帯は似合わない。



「瀬戸」、100番代は多かったが、金帯のオハネフ25を見た記憶がない。



「あさかぜ」、金帯ブルートレインの元祖で、この車両もあさかぜに使われていた時期もあると思われるが、東北にまわってから付いた雨樋と小さくなった車掌室窓は気になる。



「富士」、オハネフ25 100番台のイメージは強いが、金帯車は見た事がない。
はやぶさ・富士は末期に併結運転となり14系化された。



「はやぶさ」、こちらも金帯車は見た事がないがオハネフ25 100番台が使われていた期間は長い。
現在ブルートレイン客車を利用した宿泊施設の名称となっている、日本海、北斗星、あけぼの、はやぶさ、そして準備中の瀬戸のテールマークが揃っていた。



「団体」、北斗星用の客車では割とよく見かけた。



「急行」、白帯14系寝台車の津軽・能登などでは急行マークだったが、金帯100番台のイメージはない。



「特急」、留置されている宗谷色のスハネフ14で見掛けたが、このテールマークを掲げた列車は見た事が無い。



「臨時」、北斗星用客車で見た様な気はする。



「試運転」、こちら列車で見た記憶はない。



「回送」、臨時列車やラストランの返却で見掛けた記憶がある。



ふれあいらんど岩泉の駅名標風看板の裏には、2021年度に行われたクラウドファンディング支援者の名前と、それによる塗り直し作業の写真が掲げられていた。



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