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'11-6 インドネシア

スンブンハルジョ製糖工場
Sumberharjo sugar factory
蒸気機関車撮影


朝7時にペマランのホテルを出発
すぐ近くかと思っていたが車で40分程かかった。
正門のすぐ先に工場の建物が建っている。


正門と工場の間に線路が敷かれていてローリーが停まっていた


屋根の下で積み下ろし作業が行われている。


大きな鍬がチェーンで動く様子は見ていて楽しい


工場前のローリーはウインチの力で動いている


屋根は掛かっているだけで、外から機械が動いているのが見える部分もあり、
工場らしさを感じる


正門から入り、工場を正面に見てすぐ左に機関庫がある。


最初に来た8時前の時点では多くの機関車が車庫内に停まっていたが次々と出てゆく。


行き止り型の機関庫で、後ろ向きに走って出庫。


外の日差しは強いが、機関庫の中は照明が無く暗い。


機関庫内では縦列で停められていて、
前の機関車が出発準備を終えてから次の機関車が出る


煙突が入り口に掛かるくらいの所で一旦停車して給水を行う。


給水塔は隅の建物脇にある。


地下を通した水道管で結ばれていて給水される。
テンダへの給水はまるで燃料給油の様。




その後、少し後進させてサイドタンクにホースを入れる


給水後、足回りに水を掛け洗っていた。


車庫内からの3台並び、
多くの機関車が出口と反対側を向いている。


車庫から出ても朝は強い逆光、
後で気付いたが、隣に写っているNo.3は他と逆向きに停まっていた。


給水塔の近くにある燃料置き場、
こちらも、この時期の燃料は薪だった。


機関車が車庫前から少し下がると工場を背景に入れられる。


機関車は暫くこの辺りから動かないとの事だったが、
陽の強い逆光で撮影し難い


機関庫脇に逸れる様な線路に入っていった


その先には空ローリのヤードがあり、テンダー無しのNo.3とNo.4が入換作業に就いていた


この2両はテンダを連結しない本来のタンク機で
専ら空車の入換に使われている様子。


ヤードの先でスタンバイしていたが、
走行中のNo.4から機関士が飛び降りて走ってきた。


機関士は直接トングレールを掴んでポイント切替え


そして無人走行中の機関車に戻った


更に進むと線路は単線になり、
茂った草を掻き分けるようにやってきた。


連結はバッファの上にチェーンを引っ掛けるのが基本の様だ


片側のバッファが無く、直接チェーンが付いているところもあった。


チェーンでなく、針金で牽引されているところもあった


途中で止まっている間に先回り


空ローリ回送線は工場敷地内には見えないロケーション。


更に先で待っていると、繰り返し空転音が聞こえ、
前に砂撒きが乗って姿を現した


しかし、ちょうど背後にスラメット山がある所で停まってしまった


敷地からの出口は見えているが、進む事が出来ない様だ。


反対側から回っていたのだろうか、
機関庫の前にいたNo.9が先の方に来ていた。


No.9はポイントで折り返しNo.4に近付く。


そして、重連となった


鎖で前面同士を連結


サイドから見ると機関車の大きさはそれ程違わない


向かい合わせ重連で発車


空車ローリーの非常に長い編成


でも、ここまでやるなら2列車に分ければと思う。


ここでの入換は、まず工場のある方からサトウキビを積んだローリーが押し出されてくる。


SLはバックで押して行くので、後ろから見ると列車らしく見える


機関車は入れ替わりが多い


ローリーはトラクタに押されてくる事もある


ボンネットにFORDとペンキで書かれたトラクタには、
ローリーを押す為の専用バンパが取り付けられていた


サトウキビを積んだローリーは門から出て信号所の様な建物まで押し出され、
その先には別の機関車がスタンバイしていた。


ここでも押すときは連結作業は行わず、そのまま進行。


ポイントを切り替え反対側の機関車に押され再び工場方面へ。


門をくぐり工場敷地内へ戻ってゆく。


No.7は広いキャブとテンダの間にも燃料の木材を積み込み、溢れそうになっていた。


積荷のサトウキビが機関車の煙室扉に当たっているが、
前日のスラギとは違い連結器のバッファで押している


押しの影響か途中で荷崩れして落としていった。
ローリーへの積まれ方は編成によりばらつきが大きい


700mmゲージでスラギよりは軌間が広いが、やはり脱線はたまにある様子。


ジャッキを担いだ脱線復旧係が出動する。


ここではDLも一緒に稼働している。


連結器が長いのか、さとうきびの束にボンネットがめり込む事は無く、
DLの押しは普通に見える


このまま工場近くまで押してゆく。


工場脇にはサトウキビを積んだローリが停まっているヤードがある。


列車を追いながら進むと、工場脇にオレンジ色のDLが待機しているのが見えた


鉄道事務所の方に戻ると奥に3機が待機していた


木陰で一休み


山羊の親子が周辺をウロウロしていた


こちらを向いて「メェー」と無く。


最初は構内で見かけ、離れていて大型犬だと思って怖かった。


今度はDLが空ローリを牽いて来た


門を出て事務所前を通り過ぎる


その先は二又に分かれていて、DL牽引の空車編成は左に曲がって行った



--- 車両紹介 ---

今回動いているところを見られた蒸気機関車は6台、
みんな動輪4軸で従輪無しだが、形は様々。
番号がいちばん小さいNo.6はすっと空車のヤードに居た。
正面に「S3」と書かれた立派なナンバープレートが付けられている。


1912、ドイツOrenstein & Koppel製
煙突の右横に小さいヘッドライトが付いている。


後部の妻板は無く、燃料を積む所はかごの様になっている


No.4は1910年製、
同じくOrenstein & Koppel製だが、No3とは各部に違いがある。


機会はあったのに、単独でサイドを写していなかった。


車庫の隅の線で相当の間動いていなさそうな状態だったNo.5
1918年アメリカAlco製、斜めになったサイドタンクが印象に残る。


No.6はオランダのMachinefabriek Ducrroo & Brauns 1923年製。
No.9〜11とほぼ同形だが、前面の窓が長円形になっている。
この機関車は車庫内で修理中だった。


テンダがジャッキアップされ、車軸が外されていた


No.7 Orenstein & Koppel 1929年製、ここの蒸機では一番新しい。
煙室扉には「O&K」と書かれた菱形のプレートが付いている。


キャブサイドに「S7」と書かれたナンバープレートが付いている。
No.3やNo.4と同じメーカだが、テンダーを連結している。


No.9 1925年製でNo.6や10,11に比べサイドタンクが少し大きく、
銘板がDucrroo & Brauns Locomotieffabriekと書かれた逆三角形のものになっている。


右側だけサイドタンクに「S9」のナンバープレートが付いていた。


No.10 Ducrroo & Brauns1924年製、
前後の窓にヒサシが付いている。


No.11 Ducrroo & Brauns1924年製。


全機ボイラーの上に四角いタンク状の物が載せられていた。


番号はわからなかったが、車庫内にあった1機、
B1という軸配置だった。


空車のヤード脇に3台が屋外放置されていた
この機関車は状態が一番悪く見えた。


草が茂って足回りが見えないが、
3台のうち比較的原形を留めている。
サイドタンクが大きく前方まで延びていて
現役機には無いタイプだった


もう1台はサイドのタンクに「NDPIYA」とかかれていた


機関庫内にはDLも多くあったが、どれも
すぐに動ける状態には見えなかった


SCHOEMAと書かれた大きなプレート付きのドイツ Schoma製
 DL No.1 2軸でSLの様な開放的なキャブが全長の半分を占める


同じくSchoma製 DL No.2
3軸車でボンネットが大きく、低めのキャブなので平べったい感じがする。


番号は不明だったがDL No.2と同形のSchoma製3軸車がもう1台。


銘板にChristoph Schotter  G.M.B.H Maschinenfabrik Diepholzと書かれていた
Schoma製の2軸 DL No.5。


車庫内には他にナンバーも車軸も無い状態のDLが1両あった


工場脇のヤードで動いていたDL No.6、
遠くからしか見ていなかったが、写真を見比べると
No7、8とは違うタイプだった様だ


DL No.7 日本の北陸重機工業製 3軸車。


この機関車は農場まで来ていた


No.9 は DL No.7と同形の3軸車


動輪はロッドでつながれている


DLの脇、線路外に置かれていた人車、
動力無しだが、片側の妻面は流線型を意識した様な形をしていた


事務所の脇には乗用のモータカーが置かれていた

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事務所内にあった全体の路線図で、
ガイドArifがこれからの予定を説明。


空ローリーを牽引する蒸気機関車で西へ向かう


暫くして来たNo.10のキャブに添乗


前方確認の為に身を乗り出しながらの操作。


分岐点でちょうどNo.7と入れ違いになった


バック運転なので後方になるが、ボイラー上の四角いタンクで
前面窓からの視界は悪い


途中でガイドのArifが列車を停めた


撮影の為に空ローリを切り離し単機で鉄橋へ進んでいった


川岸に下りて鉄橋上の機関車を撮影


そして前進で戻ってくる機関車を撮影。


気に入った場所があれば停めますからと言われ、
次の小川を渡った所で早速お願いした


今度は編成のままバックしてもらう、
川岸の木陰で子供達が遊んでいた


道路が近く人の多い場所で、
視線を浴びながらの撮影となった


内側は釜、外は直射日光で鉄製のキャブ内はどこも熱く、
揺れてもしっかりと握る事が出来ず、前日のスラギでも大変だったが、
出入り口の上に掛けられた針金は掴まるのにちょうど良い。


身を乗り出し 前方確認、
テンダーの薪の上が空いているが、ほとんど見えない。


そのまま振り返って後方を見る
前面窓からの視界も悪いので、正向き運転でも身を乗り出して運転する事になる。


草木が深い区間を抜け、
丈の低い畑に出たので列車を止めて撮影。


更に開けて奥行がとれる場所があり、またフォトランをお願いした
とても暑いので煙はほとんど見えない。


笹が茂っていた所にトラス橋が隠れていた


後ろの貨車を外し、単機で鉄橋を往復してもらった


反対側にも良い場所はあったが
日差しが強く、どれも左側からの撮影になった。


こんなに停めて良いのだろうかと戸惑いながら、
また小さな橋で一人撮影会


畑の中で両側が急に開けたと思ったら、平面クロスになっていた


列車はクロスを越えたところでバックして渡り線を通り、
横切った方の線路に入った


そのまま少し進んだところで空ローリを切り離し、
単機で戻ってきてクロスで先程通った線路を横切った。


畑の中でX字状にクロスしている


単機になってもバック運転で進む。
後で気付いたが、ガイドのArlfは降りて、機関士も入れ替わっていた。


元々はタンク機でキャブの後ろ側に丸窓が残っている。
テンダーとの間には渡り板が敷かれ、結構広い。


到着した場所は牛の休憩場


草で作られた日除けの下、大小様々な牛たちが寛いでいた


線路は保線作業中で、
その先にローリーが停まっているのが見えた。


昼休みに入り、列車も牛も人も動きの無い時間がしばらく続いた。


1時間程経って休憩小屋から大人の牛が出勤。
2頭づつ丸太を首に掛け線路道を歩く


ローリが停まっていている所は、
道無き線路脇を進んでいった


ローリーが停まっていた先に、 工場で出て行くところを見たDL No.7が停められていたが、
その間の線路上に仮設的な線路が載せられ、右側に分岐していた


牛は空車のローリーを引っ張って簡易軌道の方へ進んで行く。


線路は角鋼管の様な枕木付きで、
鉄道模型の道床無し線路を畑の上に並べた様な状態
枕木上を歩くだけで線路が揺れて音が響く。


バイオ・ロコの並列重連。
長編成を牽くと列車らしく見える。


下り坂に差し掛かると貨車に轢かれない様
牽引牛は連結を外され線路脇に退避させられる


空の牛列車には車掌が乗っている。


彼らは時折ローリーを切り離し、車両番号を控えていた


牛列車が通った跡は、空ローリーが所々に置かれた状態になる


置いていかれたローリーにサトウキビが積み込まれる。


1両に付き1人の人力作業


牛小屋には子牛や母牛が残っていた


留守牛にも世話係がいる。


簡易軌道を一度外していた様で、DLが手前に移動していた。
待避線は無く、空ローリーは手動で線路脇に避けられる


食料を持って来たガイドArifは、
工場へ向かう積車を追いかける為にバイクを借りてきたが、
サトウキビを積んで戻って来る最初のローリーが見えたのは午後5時過ぎ。


常設線は少し高い所にあり、合流する手前が難所となる


手前で後ろ2両を切り離し勾配に挑む。
鞭を揮い勢いをつけさせる


牛使いは鞭を強め、自分でもチェーンを引っ張るが、
牛は平坦な所まで来て終わった気分になってしまう。


しかし、ローリーはまだ坂の途中、勢いがなくなると一気に引き戻させる


何度か繰り返したが、結局諦めて1両づつ上げた。


夕陽に向かって、次のローリーへ


牛が要領を得たのか、後ろの2両はいっぺんに牽いて登った


その先、機関車の近くまで常設の線路上は4両編成で頑張った


17:30、今晩はジャカルタに宿泊するのに、日没を迎えてしまった。
街灯どころか電気も来ていない場所が、働きに出た人や牛達は戻って来ない。


SLとDLが連結され、重連になり貨車を待つ


DLのキャブ内は近代的、
銘板には「HOKURIKU JUKI KOUGYO CO.LTD」の文字があった。


暗くなっても貨車が集まらず撮影は無理そうなので、
Arifが借りたバイクに乗って工場へ戻る
バイクの後ろで暗い線路道を走るのは怖かった。


別の農場からの列車もまだ工場に帰って来ていないという情報があり、
バイクを返す前にそちらの方へ行ってみた
工場から遠くないところに停車していて、
蒸気機関車 NO.9を修理していた。


救援に来たのだろうか、その向かいにタンク機No.3が停まっていた
向かい合った機関車や乗ってきたバイクのヘッドライトを光源にして、
最後に両機の夜間撮影ができた。


 "late afternoon direct transport to Jakarta city"
という打ち合わせだったが、こんな時間まで付き合っていただいた。



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