鉄道世界旅行ホームページ
2003-4 ドイツ・オーストリア
Eisenbaumseum Strasshof
シュトラースホフ鉄道博物館

traditionelle
Saisoneröffnung mit unseren Dampfloks
蒸気機関車シーズン開幕祭


四条の煙
ウィーン市内にウイーン産業技術博物館という博物館がある。
ここに蒸気機関車も多数展示されているという事で
1994年、1995年、1999年と3回も入り口まで足を運んでいるが、
長いリニューアル工事でいつも閉館していた。
しかも、1999年に購入した現地の鉄道雑誌を見て
目的としていた屋外展示の機関車は館外に出た事が判った。

帰国してから知ったが、ここはウィーン産業技術博物館の分館的な位置付けがあるようで、
リニューアル工事で庭から姿を消した機関車達はこちらへ移って来たのであった。

今シーズンは前日に開館が始まったばかりで、訪問した日は博物館のお祭り。
送迎列車4両の蒸機機関車が動いていた。
最盛期は4両とも構内往復運転をやっていて、すれ違い、通過待ち、併走と凄かった。
昼過ぎに昼食を食べずに入館し、食堂車を利用したレストランも有ったのだが
いつも蒸機が動いているので食べる時間が無く、
廃車留置状態の車両を含め40両程の静態機をチェックするだけで精一杯だった。


この日、ウィーン西駅から乗車したシティナイトラインの列車が着いて間もなくの時刻にシュトラースホフ鉄道博物館行きの特別列車が出る事は知っていた。
そして、定刻で到着したシティナイトラインを下りてすぐ、煙を上げている蒸気機関車が見えた。


すぐ出発時刻になるので、出来るだけホームの端の方に急ぎ、蒸機列車は動き出した。


思っていたより大型な蒸機で客車も立派。


ドレーンだったのか至る所から水蒸気を上げて来た。


動輪が巨大なのが第一印象、そしてオープンキャブがアンバランスに感じた。


荷物車1両と、床下までカバーされた美しい優等列車用の客車4両、最後尾に低車高タイプな客車1両で、計6両の客車を牽引していた。


私は午前中ウィーン王宮等を観光した後、国電にあたるSバーンでシュトラースホフへ向かった。
駅からは距離がありアクセス列車以外だとそれなりに歩く。


入場券、料金は蒸気機関車運転日で大人1人7EUR(約1,000円)
大きさは市内交通の切符と同サイズ。



Strasshofの看板が写っているがこちらが駅ではない。


広い構内を4両の蒸機が煙を上げ、他に展示機も凄い数。


筆頭はウィーン西駅からのシャトル列車を牽引していた310.23。


1911年製、軸配置1C2の4シリンダー機、最高速度100km/hで90台造られた形式。


この機関車は1987年オーストリア鉄道150周年記念で動態復元された。


テンダーの形も特徴がある。


2140mmという巨大なスポーク動輪。


送迎列車運転時以外はキャブに来館者を載せ構内を往復。


キャブ添列車は結構奥の方まで走ってゆく。


私もこの機関車に乗車、料金は一人4EUR(約560円)。


開く前面窓からの眺め。


日本とは逆の右側に運転席があった。


キャブは意外と広い。


下車前にできるだけテンダ寄りに下がって全体を撮影。


線路端で撮影、望遠で正面気味だと列車らしく見える。


テンダの裾の幅が際立つって見える。


一部区間は重複しているが、添乗コースは2レーンあり並走らしくなる時もあった。


ストラフホフ駅とのアクセス列車を牽引していた629.01。


1913年製、軸配置2C1のタンク機、最高速度は90km/hで15台造られた。


それ以降の新車はドイツ系になってしまったので、保存されているのはこの頃までの車両がほとんど。


横から見ると太いボイラーに長いタンクで優雅さを感じる。


310.23のキャブからプチ俯瞰。


機関庫の中程になる線から出発。


並んで煙を上げている光景は圧巻だった。


曇り空でもあり、近づくと煙はわからなくなった。


他の車両が見えない奥の方へ。


1台分だけ見える木立の間から。


構内運転は単純往復。


後は平面で3つのライト、下の方にナンバープレートがある。


629.01と交代でストラフホフ駅とのシャトル列車を牽引していた30.33。


オーストリア蒸機の煙室扉は、そのままで顔の様に見える。


1987年製、軸配置1C1のタンク機最高速度60km/hで113台造られた型式。


ボイラー上のドームがつながっている。


まずは並んだ保存機の脇を通る。


もう1台の添乗運転と待機するシュトラスホフ行きのシャトル列車も入れて撮った。


更に別の1台の添乗列車を入れて。


石炭を沢山積める様囲いが高く、大型機用の給炭設備でもこぼれない様漏斗状に広がっている後部。


後からの眺めが気になる。
310.23に比べ並んでいる人も少なかっただろうし乗ればよかった。


アクセス列車の牽引は無かったが、単機でいつも往復していた97.208。


当初は69.08で1892年製、軸配置C1のタンク機。


かってはラックレールに対応しErzbergbahnで活躍、最高速度は30km/h。


ギースルエジェクターが特徴的。


炭庫部分も同じ断面なのでキャブが長く見える。


常に構内を往復していたので、逆にあまり写真を撮っていなかった。


シュトラスホフ駅行きのシャトル列車がホームで待機。


真横も後面も撮っていなかった。


後部は見え難そう。


静態保存機も数多い。


修復中の他、貴重な機関車は工場に保管され、状態の良さそうな機関車はその前に出され展示されていた。


52 100、周辺各国で計6000両以上造られたドイツ52型で軸配置1E、最高速度80km/h。


1943年製で第次世界大戦後は33-044としてユーゴスラビアで活躍した。
大きめなスノープラウが印象的。


船底形のテンダー。


ボイラーにLrnzing AG という表記とキャブ下に15 12 94と数字が書かれていただけの2軸の無火蒸気機関車。1944年製で製紙工場で1999年まで使われていた。


”LAGERHAUS DER STADT WIEN”というプレートを付けたNo.1機関車。


1912年製のB形タンクで、ウイーン市の倉庫で使われていた入換機。


”LICAON”というプレートを付けたサドルタンク機。
1851年製で軸配置1Bで1923~1937年までザルツブルクの醸造所で使われ、1987年オーストリア鉄道150周年記念で動態復元された。


180.01、オーストリア国内と近隣各国に通じる峠越えに用いられた。


1900年製でゲルスドルフ式遊動輪を備えた軸配置Eのテンダ機で最高速度50km/h。


1655、1895年製軸配置Cのテンダ機、第一次世界大戦後はハンガリー国鉄の機関車となり1965年まで活躍し1969年にオーストリアに来た。


番号が見つからなかった軸配置Dのタンク機、178形と思われる。


93.1403、1928年製軸配置1D1のタンク機で最高速度60km/h。


197.301、1912年製軸配置Fのタンク機。


ラックレールに対応し1978年までErzbergbahnで活躍した。


DT1.07、1935年製軸配置1B1、最高速度は100km/hで20両造られた。


かなり特徴的外観の蒸気機関車である。


229.222、1918年製軸配置1C1のタンク機、最高速度は80km/h。


来た時は連結された状態で屋外にあったので留置状態と思ったが、夕方には工場内に納められた。


52 7594、軸配置1Eのドイツ52型であるが、こちらはデフなしで、排障器的な小さなプラウ。


こちらも連結された状態で屋外にあったので留置状態と思ったが、午後に入換が始まり最後には工場内に納められた。


テンダーはキャブ付き。


テンダーのキャブ後方からタンク状の円筒状が延びていた。


97.73,1894年製軸配置Cのタンク機で最高速度45km/h。


こちらも最初は連結された状態で屋外にあったので留置状態と思ったが、夕方には機関庫内に納められた。


ÖMV 1~4、1961~1973年に造られた軸配置Cの無火蒸気機関車。
空港に近いSchwechat製油所で1998年まで使われてたという。


ディーゼル機関車の様にしか見えないが、キャブ下にシリンダがある。
こちらも4両とも連結された状態で屋外にあったので留置状態と思ったが、夕方には工場内に納められた。


機関庫前であるが、常時屋内にあると思われる蒸気機関車4台。
15.13は1910年製軸配置1C1のテンダ機で、最高速度は90km/h。


12.10、1936年製軸配置1D2のテンダ機、動輪径は1940mmで最高速度110km/h。


その後ろの1両は、残念ながら写真を撮り忘れていた。
左側に写っている33.102で1923年製軸配置2Dのタンク機、最高速度は90km。


580.03、1912年製軸配置1Eのテンダ機、最高速度70kmで37台製造され、この機関車は1957~1959年の間ギリシャに貸与されていた。


転車台の周囲にも蒸気機関車が並べられている。


58.744、1923年製軸配置1Eのテンダ機、最高速度55kmで72台製造された。


番号は見当たらなかったが29.852、1869年製軸配置Cのテンダ機で最高速度45km/h、この型式は1860~1872年の間に205両造られた型式である。


106、”FUSCH”と書かれたプレートをボイラに付けた、軸配置Cのテンダ機であるがテンダは無かった。 1868年製で皇后エリザベート鉄道の現存する唯一の機関車とのこと。


42.2708、第二次世界大戦後のオーストリア製機関車で1946年製、軸配置1Eのテンダ機で最高速度80km/h。


156.3423、1920年製軸配置1Dのテンダ機で最高速度60km/h。


55.5708、1887年製軸配置Dのテンダ機、山岳用で最高速度35km/h。


ここからはヤードに留置されていた機関車。
54.14は1899年製軸配置1Cのテンダ機で最高速度60km/h。
他のヤード留置機関車と比べると塗装は良かったがロッドが外されていた。


33-032、軸配置1Eのテンダ機。
デフに書かれている国旗と形状からドイツの52形にあたるユーゴスラビアJŽ 32形と考えられる。


33-033、ナンバーは写ってないがメモしてあった。煙室扉に違いがある。


33-329、こちらもナンバーは写ってないがメモしてあった。キャブのくびれ方が緩やかで先の2台と違って見えた。
1943年製でドイツDRB 52 5422、ソビエトSZD T3-5422、ユーゴスラビアJŽ 33-329 という経歴。


257.601、1921年製軸配置Eのテンダ機で最高速度50km/h、同形6両でゼメリング鉄道の補機として活躍。


257.605、こちらはかなり痛々しい姿であった。


57.223、1916年製軸配置Eのテンダ機で最高速度50km/h。


35.233と番号が書かれていた429.1971、1916年製軸配置1C1のテンダ機で最高速度80km。


92.2234、1910年軸配置Dのタンク機で最高速度50km/h。


30.33、1897年製軸配置1C1のタンク機で最高速度60km/h。


175.817、1912年製軸配置1C1のタンク機で最高速度80km。
36両製造された同型で現存するのはこの1両のみ。


18.51とメモがあるが、不明であるキャブの低いC形タンク機。


”O.Z.I”、1923年製軸配置Bのタンク機で製糖工場で使う為に造られた。


12.02、1898年に197.52として製造され、1935年に軸配置1A1に改造され改番された。
大きな動輪が中央にあり最高速度は80km/h。


番号不明B形タンク機。
走行が見られた4台を含め、46台もの蒸気機関車を確認できた。


372と番号がある足回り。
17c 372は1891年製軸配置2Bのテンダ機で最高速度85km/h。


20年後レストアされた車両を見て、こちらが372のボイラだとわかった。


大型機のボイラーを載せた大物車。


985 120、1942年製のラッセル車であるが走行用らしいシリンダがありロッドが付きそうな3つの大きな車輪と小さな車輪1軸がある。


986 120、1942年製の蒸気駆動のロータリー除雪車。


13257、軸配置1CC1、クロコダイルと呼ばれるスイスCe6/8II。


パンタグラフがボンネット上にあったが、パレット上で修復中の一時的な状態だった。


1189.05、1927年製軸配置1CC1の電気機関車でオーストリアクロコダイルと呼ばれる、最高速度75km/h。


1020.038-4、1943年製ドイツDBのE94形として作られた軸配置C-Cの電気機関車、最高速度90km/hで1995年まで使われていた。


1060.001、1912年製軸配置1Cの電気機関車で最高速度40km/h。


1045.14、(BBÖ 1170形)1929年製軸配置BBの電気機関車で最高速度60km/h。


反対側はボンネット的な小さな張り出しが無く違った印象を持つ。


01101-6(1245.01 BBÖ 1170.2形)、1934年製軸配置BBの電気機関車最高速度80km/hで1995年まで使われていた。


1570.01 1925年製、軸配置1ABA1の電気機関車で最高速度85km/h。


MBS ET10.106、1936年製軸配置BBの荷物室付電気機関車、最高速度90km/hで1994年まで使われていた。


2060 004-5、1954年製2軸の液体式機関車。


DH200 B 26 T、1964年製2軸の液体式機関車。


奥の線路の小形DLは後で調べるとWDWIと思われる。


番号不明、ロッド式の2軸ディーゼル機関車。


RL8、1941年製、背が低い2軸のディーゼル機関車。


番号不明、違うタイプの低車高ディーゼル機関車。


5046-01、両運転台のローカル用の気動車で最高速度100km/h。
気動車、客車も多数留置されていたが、フィルムに限りがあるのであまり撮っていない。


出始めた頃のコンパクトデジカメも持っていき、640x600ピクセルで撮ってもスマートメディアの容量を気にしなければならなかったが、こちらでも少し撮っていた。
様々な客車の列の手前の車両は窓の少なさから寝台車かと思ったがわからない。


木製の2軸荷物車。


シャトル列車が発着するホームの向かいに停まっていたBARWGON。


その他も修復中の車両が沢山あった。


これでも旅の序盤でかなりのフィルムを消費した。


ケーブルカーがあるのは珍しいと思い撮っていた。


博物館には大規模な庭園鉄道もあり、蒸気を上げて走っていた。


こちらも石炭が燃料。


多くの車両が走っていたが、時間もフィルムも少なくあまり撮っていない。


ガレージ的な機関庫で、その前にトラバーサーが設けられていた。


この時、もう一つあった転車台の遺構に新しそうなブロックが積まれているのが気になり撮っていた。


20年後に行くと、この場所に庭園鉄道の転車台と扇形庫が造られていた。2023年4月撮影


構内運転終了後、次の列車運転に備える。


棒を使った燃え殻落とし。


給水塔も現役。


太いパイプで一気に入る。


給炭用の櫓もある。


こういう設備まで残すのが、本来の動態保存だと感動した。


トロッコには石炭が積まれている。


本線の上に線路が載せられ、転車台にレールが無いのが気になった。


この年の蒸気イベント開催日はシュトラースホフ駅との間を結ぶ4往復のアクセス列車が運転されていて、半室荷物車1両を含むk2軸客車の3両編成で2往復目は629.01が担当だった。


14:00発の3往復目は30.33が牽引。


客車を牽引する姿を見られるのは嬉しい。


夕方になると屋外に展示していた車両を工場内に戻し始め、この入換作業も蒸気機関車によって行われた。


大きさがアンバランスであるが3重連状態になった。


ここでは主に97.208が活躍した。


途中、雨が降る時間もあった。


格納された機関車と雨宿りの人で賑わう工場内。


30.33も構内入換に活躍。


入換中同士の並びも見られた。


すぐ後に連結された小形入換機が隠れると客車列車の様に見える。
今回シャトル列車を牽引しなかった97.208でこういうシーンを見たかった。


15.50発のウイーン西駅行きシャトル列車がスタンバイ、
長編成なので全くホームの無い線からの出発となる。


16:00発のシュトラスホフ行き4往復目も引き続き30.33が牽引。


2本の蒸機牽引客車列車が並んだ。


構内入換は続けられ、特徴あるうしろ姿の97.208がやってきた。


後は52.7594のキャブ付きテンダだった。


引っ張って来た車両を置いて97.208が戻って来て、ひと時の3台並び。


人が沢山入っているが、壮観だった。


先の方で構え出発を狙う。


良い煙で嬉しい。


現役感に満ちた光景。


続いてシュトラースホフ駅行き。


こちらも良い煙。


鉄道愛好団体のボランティアによる運営で、これだけの事ができるのかと驚き、文化の差に圧倒させられた。



写真の無断転載を禁止します。