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ジャカルタ近郊電車

PT KAI COMMUTER JABODETABEK
ジャポデタベック

チケットはミシン目入りの薄紙製。
JATINEGARA駅からKOTA駅まで
Ekspres(急行)で8,000ルピア(約80円)。2011年


2014年にはICカード化されていた。
Rp30000分チャージされているカードが
Rp50000(約500円)2013年撮影


元東急8000系の8両編成。2013年撮影


ホームが低い駅もあるので、中央寄り2箇所の扉下には
外部ステップが取り付けられた。2013年撮影


東急の8000系電車、当初は正面にも帯色が無い。1985年撮影


伊豆急に行った8000系、こちらの方が大きく印象が変わっている。2008年撮影


車内、ぱっと見は広告が無く、窓が青いくらい。2013年撮影


スポンジが膨れ出るのが面白いのか
座席のモケットが切り付けられ痛々しい状態になっていた。2014年撮影


号車を表す大きな数字のシールが貼られた。2013年撮影


吊革に付けられたアクセサリー的な立体的な広告。2013年撮影


前面模様の大きさに若干の違いがある。
何故かこの車両運転台の窓にガードが付いていなかった。2011年撮影


元東急8500系の8両編成。2013年撮影


前面塗装が同じで列車種別表示や運行番号表示は使われていないので
実質的に8000系と同じ。2013年撮影


Juanda駅からガンビル駅方向を見ると、国立モスクとモナスタワーが見える。2013年撮影


赤い塗装の8500系も見掛けた。2011年撮影



東急の8500系電車、登場時から前面に赤帯が入っていた。1985年撮影


Duriの駅から南側では線路端に市場が発生し
線路上も含め人で賑わっている。2013年撮影


跳ね橋の後ろを電車が走る。2013年撮影


ホームから見た8500系、側面に帯が入ると東急らしく見えない。2013年撮影


8500系車内。2013年撮影


東急もあまり乗っていないが、違和感が無い。2013年撮影


号車表示が大きくなった程度。2013年撮影


優先席も残り、表示はインドネシア語の物に張り替えられている。2013年撮影


東西線で活躍していた 元 営団・東京メトロ 5000系。2011年撮影


スカートと前面の窓にエキスパンドメタル製のガードが新たに取り付けられている。2011年撮影


先頭車は女性専用車となりラッピングが施された。2013年撮影


戸袋窓が塞がれた編成もインドネシアに来ている。2013年撮影


営団時代の5000系。1988年撮影


宿泊したホテルの部屋から撮影した元5000系
8両編成で運転されている。2011年撮影


元々は営団5000系だった元 東葉高速鉄道1000系。2013年撮影


前面の縁の色が違っている。2013年撮影


乗車した列車は"EXPRES AC"と正しく表示されていた。2011年撮影


ホームが低い駅や無い所があるので扉の外側にステップと
つかみ棒が取り付けられていて、ドア横に号車表記もある。2011年撮影


車内は東西線時代から大きな改造が無い様子でロングシート。
日中は室内灯が消され、ガラスにカラーフィルムが貼られているので車内は暗め。2011年撮影


戸窓が小さい乗降扉、乗った車両は戸袋窓の無いタイプだった。2011年撮影


扉の上に路線図のステッカーが貼られていた。 2011年撮影


非常ドアコックの注意書きと、その下に付けられた号車・位置表示のプレート。
意外にも車内で日本語は見当たらなかった。2011年撮影


下車したコタ駅はホームに座り込んでいる人が沢山。2011年撮影


都営地下鉄三田線で活躍した、元 東京都交通局6000系。2011年撮影


こちらも8両編成で運転。2011年撮影


ジャカルタから深夜に乗った翌日に見た秩父鉄道5000系。
元は同じく都営6000系。2013年撮影


熊本電気鉄道の6000系。
同じく元は都営6000系で併用軌道も走るのでスカートも付けられている。2013年撮影


同じく熊本電気鉄道の6000系、
黄色が入ると更にインドネシア風に見える。2013年撮影


先頭車化の改造や事故の復旧により
傾斜のある非貫通前面の車両もある。2013年撮影


その中でも、塗り分けだけでなく形状に違いが見られた。2013年撮影


先頭形状と側面とがミスマッチ。2013年撮影


猫バス顔の流線型まであった。
非貫通で前面2枚窓が共通点。2013年撮影


比較的落ち着いた感じの先頭化改造車、
この編成は6両だった。2013年撮影


行先や列車種別などの表示器用のスペースも用意されているが、
使われてなく、中央の上以外は塞がれていた。2013年撮影


非常に低いホームがあり、
階段状の移動台が扉の数だけ用意されている。2013年撮影


6000系車内。2013年撮影


中吊り広告が無い。2013年撮影


号車表示だけはしっかりしている。2013年撮影


吊革が無くなっているところが多い。2013年撮影


営団/東京メトロ6000系。2013年撮影


8両編成。2013年撮影


営団時代の千代田線6000系。1988年撮影


モナスタワーをバックに、
こちらに向かってくる列車で右側通行となっている。2013年撮影


女性専用者に描かれた図柄。2013年撮影


元 営団・東京メトロ 有楽町線で走っていた7000系。2011年撮影


両端の先頭車は女性専用車両となり、
それを表す為に側面に模様が入たのが前回からの変化。2013年撮影


側面が広告ラッピングされている先頭車もあった。2013年撮影


7000系8両編成と05系のすれ違い。2011年撮影


ステップで上がる低いホーム。2013年撮影


7000系車内、座席端の仕切り板に木目模様が入っている。2013年撮影


他の車両と比べ1世代新しい元 営団・東京メトロ 東西線の05系。
同じ塗装だと意外に同じ様な感じに見える。2011年撮影


表示器は蛍光灯が見える状態で、
運転席窓下に”Bekasi”と行先が書かれた板が置かれていた。2011年撮影


先頭車は女性専用車となり、ピンク色の模様が入っていた。2013年撮影


3両目がラッピングされていた。2013年撮影


まだ日本時代の表示を掲げて走る姿も見られた。
快速 三鷹行き。2013年撮影


東京メトロのシールが残っていた。2013年撮影


国立モスクIstiqlalとモナスタワーを入れ、後追いで撮影。2013年撮影


方向幕は快速 高田馬場になっていた。2011年撮影


扉の両側にハンドル(つかみ棒)と、
中央寄りの2扉だけドア下にスッテップが取り付けられている。2011年撮影


照明が点いてなく、とても暗く見えた。2011年撮影


05系車内。2013年撮影


広告も入っていて、違和感を感じない。2013年撮影


連結部は貫通扉付き。2013年撮影


乗降扉上にあるLED表示器は使われていない。2013年撮影


元JR東日本の203系。2013年撮影


8両編成。2013年撮影


中間連結器が装着されていた。2013年撮影


試運転の幕。2013年撮影


JR東日本、常磐緩行線の203系。2011年撮影


読めないからか形式のカタカナが消されていた。2013年撮影


再び見える様になっていた車両もあった。2013年撮影


203系車内。2013年撮影


常磐線の203系車内。2011年撮影


空き広告スペースが増えた一番の変化に見える。2013年撮影


カラフルな塗り分けで余計古臭い感じになったJR東日本の103系。2011年撮影


前面の方向幕に”快速 東京”と出していた。2011年撮影


非冷房のエコノミー車はガンビル駅を通過してゆく。
車両はインドネシア生え抜きで103系と同年代の日本製3扉車。2011年撮影


パンタグラフのすぐ横まで人が座っている。2011年撮影


ガンビル駅のホームに上がった時、ジャカルタの鉄道を最初に見た光景。
一番後ろに子供が掴まっていたのに驚いた。2011年撮影


前面2枚窓で表示器が無く屋根は大きくカーブしているが
103系らしい雰囲気がある。2013年撮影


ジャンクションとなっていて列車の発着が多いマンガライManggarai駅だが、
部分的にホーム全体が低く線路を渡れる様になっている所が何箇所もある。
2013年撮影


低いホームに対応して内側にステップが2段ある。2013年撮影


他のエコノミー車両と併結していた。2013年撮影


そのステンレス車も日本製。2013年撮影


4両編成、3扉車で車内側に1段と外側にリンク式のステップがある。2013年撮影


外部にも人を満載した電車がガンビル駅に進入。
ホーム下になる高さのステップに足を掛けている人も多く、
もし、通過ホームが変更になったらパニックになりそう。2011年撮影


ドーム状の屋根の上に人が座っている。2011年撮影


扉から人が溢れている感じ。2011年撮影


架線が高い為かパンタグラフが細長く見える。2011年撮影


後部の連結器上は子供の優先席なのだろうか。2011年撮影


ステンレスのままの前面の車両も見られた。
共通点は少ないが、なんとなく静岡鉄道の電車の様な雰囲気。2011年撮影


コルゲートのピッチが広くなった新しいステンレス車。2013年撮影


4両編成を2組併結し8両運転していた。2011年撮影


普通に扉が開いたまま走っている。
車内側のステップは無くなった。2013年撮影


オランダの会社との合弁で作られたステンレス製3扉車。2011年撮影


新しそうな車両だが、扉が開いたまま走っていた。
これに対し日本で活躍した譲渡車両は扉を閉めて走っていて、
屋根上やステップにつかまって乗ったりしている人は見掛けなかった。2011年撮影


日本車両の技術支援によりインドネシアで作られたステンレス製3扉車4両編成。2011年撮影


走行中は折畳まれるステップを装備していて、自動扉が正常に機能している様だった。2011年撮影


ドイツの資金協力によって造られ
ドイツ製の機器を使われた新車。2013年撮影


4両編成で、2組併結されていた。2013年撮影


Kota駅の低ホーム、折畳み式ステップも作動していたが、
階段台が使われていた。2013年撮影


前面窓に鉄製のガードは取り付けられていない。
Duri-Tangerangの支線はこのタイプの車両ばかりだった。2013年撮影


車内、座席はパイプ製の脚があるロングシートで、モケット張り。
暑い地域の座席はステンレスや樹脂の材質そのまの場合が多いが、
日本からの入ってくる中古車の影響があると思われる。2013年撮影


扉上に表示モニターが装備されていたが使われていなかった。2013年撮影


連結部、標準的な間口で貫通扉付。
車内には荷棚や吊り手も用意されている。2013年撮影


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