東西線で活躍していた 元 営団・東京メトロ 5000系。2011年撮影
スカートと前面の窓にエキスパンドメタル製のガードが新たに取り付けられている。2011年撮影
先頭車は女性専用車となりラッピングが施された。2013年撮影
戸袋窓が塞がれた編成もインドネシアに来ている。2013年撮影
営団時代の5000系。1988年撮影
宿泊したホテルの部屋から撮影した元5000系
8両編成で運転されている。2011年撮影
元々は営団5000系だった元 東葉高速鉄道1000系。2013年撮影
前面の縁の色が違っている。2013年撮影
乗車した列車は"EXPRES AC"と正しく表示されていた。2011年撮影
ホームが低い駅や無い所があるので扉の外側にステップと
つかみ棒が取り付けられていて、ドア横に号車表記もある。2011年撮影
車内は東西線時代から大きな改造が無い様子でロングシート。
日中は室内灯が消され、ガラスにカラーフィルムが貼られているので車内は暗め。2011年撮影
戸窓が小さい乗降扉、乗った車両は戸袋窓の無いタイプだった。2011年撮影
扉の上に路線図のステッカーが貼られていた。 2011年撮影
非常ドアコックの注意書きと、その下に付けられた号車・位置表示のプレート。
意外にも車内で日本語は見当たらなかった。2011年撮影
下車したコタ駅はホームに座り込んでいる人が沢山。2011年撮影
都営地下鉄三田線で活躍した、元 東京都交通局6000系。2011年撮影
こちらも8両編成で運転。2011年撮影
ジャカルタから深夜に乗った翌日に見た秩父鉄道5000系。
元は同じく都営6000系。2013年撮影
熊本電気鉄道の6000系。
同じく元は都営6000系で併用軌道も走るのでスカートも付けられている。2013年撮影
同じく熊本電気鉄道の6000系、
黄色が入ると更にインドネシア風に見える。2013年撮影
先頭車化の改造や事故の復旧により
傾斜のある非貫通前面の車両もある。2013年撮影
その中でも、塗り分けだけでなく形状に違いが見られた。2013年撮影
先頭形状と側面とがミスマッチ。2013年撮影
猫バス顔の流線型まであった。
非貫通で前面2枚窓が共通点。2013年撮影
比較的落ち着いた感じの先頭化改造車、
この編成は6両だった。2013年撮影
行先や列車種別などの表示器用のスペースも用意されているが、
使われてなく、中央の上以外は塞がれていた。2013年撮影
非常に低いホームがあり、
階段状の移動台が扉の数だけ用意されている。2013年撮影
6000系車内。2013年撮影
中吊り広告が無い。2013年撮影
号車表示だけはしっかりしている。2013年撮影
吊革が無くなっているところが多い。2013年撮影
営団/東京メトロ6000系。2013年撮影
8両編成。2013年撮影
営団時代の千代田線6000系。1988年撮影
モナスタワーをバックに、
こちらに向かってくる列車で右側通行となっている。2013年撮影
女性専用者に描かれた図柄。2013年撮影
元 営団・東京メトロ 有楽町線で走っていた7000系。2011年撮影
両端の先頭車は女性専用車両となり、
それを表す為に側面に模様が入たのが前回からの変化。2013年撮影
側面が広告ラッピングされている先頭車もあった。2013年撮影
7000系8両編成と05系のすれ違い。2011年撮影
ステップで上がる低いホーム。2013年撮影
7000系車内、座席端の仕切り板に木目模様が入っている。2013年撮影
他の車両と比べ1世代新しい元 営団・東京メトロ 東西線の05系。
同じ塗装だと意外に同じ様な感じに見える。2011年撮影
表示器は蛍光灯が見える状態で、
運転席窓下に”Bekasi”と行先が書かれた板が置かれていた。2011年撮影
先頭車は女性専用車となり、ピンク色の模様が入っていた。2013年撮影
3両目がラッピングされていた。2013年撮影
まだ日本時代の表示を掲げて走る姿も見られた。
快速 三鷹行き。2013年撮影
東京メトロのシールが残っていた。2013年撮影
国立モスクIstiqlalとモナスタワーを入れ、後追いで撮影。2013年撮影
方向幕は快速 高田馬場になっていた。2011年撮影
扉の両側にハンドル(つかみ棒)と、
中央寄りの2扉だけドア下にスッテップが取り付けられている。2011年撮影
照明が点いてなく、とても暗く見えた。2011年撮影
05系車内。2013年撮影
広告も入っていて、違和感を感じない。2013年撮影
連結部は貫通扉付き。2013年撮影
乗降扉上にあるLED表示器は使われていない。2013年撮影
元JR東日本の203系。2013年撮影
8両編成。2013年撮影
中間連結器が装着されていた。2013年撮影
試運転の幕。2013年撮影
JR東日本、常磐緩行線の203系。2011年撮影
読めないからか形式のカタカナが消されていた。2013年撮影
再び見える様になっていた車両もあった。2013年撮影
203系車内。2013年撮影
常磐線の203系車内。2011年撮影
空き広告スペースが増えた一番の変化に見える。2013年撮影
カラフルな塗り分けで余計古臭い感じになったJR東日本の103系。2011年撮影
前面の方向幕に”快速 東京”と出していた。2011年撮影
非冷房のエコノミー車はガンビル駅を通過してゆく。
車両はインドネシア生え抜きで103系と同年代の日本製3扉車。2011年撮影
パンタグラフのすぐ横まで人が座っている。2011年撮影
ガンビル駅のホームに上がった時、ジャカルタの鉄道を最初に見た光景。
一番後ろに子供が掴まっていたのに驚いた。2011年撮影
前面2枚窓で表示器が無く屋根は大きくカーブしているが
103系らしい雰囲気がある。2013年撮影
ジャンクションとなっていて列車の発着が多いマンガライManggarai駅だが、
部分的にホーム全体が低く線路を渡れる様になっている所が何箇所もある。
2013年撮影
低いホームに対応して内側にステップが2段ある。2013年撮影
他のエコノミー車両と併結していた。2013年撮影
そのステンレス車も日本製。2013年撮影
4両編成、3扉車で車内側に1段と外側にリンク式のステップがある。2013年撮影
外部にも人を満載した電車がガンビル駅に進入。
ホーム下になる高さのステップに足を掛けている人も多く、
もし、通過ホームが変更になったらパニックになりそう。2011年撮影
ドーム状の屋根の上に人が座っている。2011年撮影
扉から人が溢れている感じ。2011年撮影
架線が高い為かパンタグラフが細長く見える。2011年撮影
後部の連結器上は子供の優先席なのだろうか。2011年撮影
ステンレスのままの前面の車両も見られた。
共通点は少ないが、なんとなく静岡鉄道の電車の様な雰囲気。2011年撮影
コルゲートのピッチが広くなった新しいステンレス車。2013年撮影
4両編成を2組併結し8両運転していた。2011年撮影
普通に扉が開いたまま走っている。
車内側のステップは無くなった。2013年撮影
オランダの会社との合弁で作られたステンレス製3扉車。2011年撮影
新しそうな車両だが、扉が開いたまま走っていた。
これに対し日本で活躍した譲渡車両は扉を閉めて走っていて、
屋根上やステップにつかまって乗ったりしている人は見掛けなかった。2011年撮影
日本車両の技術支援によりインドネシアで作られたステンレス製3扉車4両編成。2011年撮影
走行中は折畳まれるステップを装備していて、自動扉が正常に機能している様だった。2011年撮影
ドイツの資金協力によって造られ
ドイツ製の機器を使われた新車。2013年撮影
4両編成で、2組併結されていた。2013年撮影
Kota駅の低ホーム、折畳み式ステップも作動していたが、
階段台が使われていた。2013年撮影
前面窓に鉄製のガードは取り付けられていない。
Duri-Tangerangの支線はこのタイプの車両ばかりだった。2013年撮影
車内、座席はパイプ製の脚があるロングシートで、モケット張り。
暑い地域の座席はステンレスや樹脂の材質そのまの場合が多いが、
日本からの入ってくる中古車の影響があると思われる。2013年撮影
扉上に表示モニターが装備されていたが使われていなかった。2013年撮影
連結部、標準的な間口で貫通扉付。
車内には荷棚や吊り手も用意されている。2013年撮影