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2019-4 旧ユーゴスラビアの国々
 
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Mokra Gora10:00発 – Šargan Vitasi11:05着11:15発 – Mokra Gora13:00着

ウジツェバスターミナルで掲示されていた時刻表。
インターネットで調べるとモクラ・ゴラまで行けるばすが1日3本ある様だったので、当初はモクラ・ゴラに宿泊する予定をしていたが、予約した宿に連絡すると夕方に着く便は無くバスはウジツェを11:00に出るVISEGRAD行きだけという連絡が来たので、ウジツェに泊まりタクシーをチャーターして訪問する事にした。
今回は必要ないが実際はどうなのか確認したいと思って掲示を見にいったが、その他にモクラ・ゴラに行きそうなバスがあったがインターネット見た時刻とは違っていた。


改めて予約を入れたウジツェのホテルには、翌日モクラ・ゴラへ1日掛けて往復するタクシーの取次ぎをリクエストしておいた。
8:10頃にタクシーに乗り、支払う現金を用意する為に街中の両替所へ寄ってもらった後、崖の上の要塞スターリ・グラードを横目に街を出た。


途中の道脇で見かけたオブジェ。
走っている車から撮った時は静態保存機かと思ったが、写真を見るとロッドが凄い事になっていた。


途中、山の上にある映画セットがあった村ドゥルヴェングラードに寄ってくれたが、見ていると本来の目的が危うくなるので、すぐにモクラ・ゴラを目指す。
ちょうど街に入る所にある踏切が閉まり、列車がやって来た。
機関車のL45H-098は前側のエンジンカバーを開けていた。


客車3両を牽引し、機関車の後ろはゴージャスと言うか強烈な客車Cs3487。


2両目は長く低い車体の客車C3622。


3両目は後ろ側のデッキが埋められ窓が小さい質素な客車0409。


タクシーの運転手が、その列車を追いかけられるというので、お願いしたら博物館の様な所に着いた。


その先には手回し式の転車台があった。


屋根の下にC形タンク機と客車が保存されていた。


手前の道脇には別な形のC形タンク機があった。


サイドに「PLANKA」というプレートがあった。


蒸気式のロードローラも置かれていた。


周辺に客車を使った建物もあったが、この辺りに列車が来ることは無く、暫く経ってディーゼル音が聞こえ、遥か上の山林で列車の影が見えた。


近くにあったモクラ・ゴラ周辺図、上の方で線路がスパイラルし8の字を描いている。


Mokra Gora駅行きチケットを購入。
運営するセルビア鉄道Srbija Vozのホームページでは、この時期の出発は10:30、13:30とあったが、次の列車は10:00との事。
満席だという事だったが立ち席で売ってくれた。
料金は600CSD、1CSDはおおよそ1JPYで計算しやすい。


帰着時間にタクシーと待ち合わせる様にし、線路の方へ行くと屋根の下にディーゼル機関車が停まっていた。


その奥には蒸気機関車も停まっていた。


「ELIZA」というプレートを付けたC形タンク機で
上には2000年4月に復元したという様なプレートが付けられていた。
1913年製で元はセルビア南部のZrenjanin製糖工場で働いていたらしい。


「ELIZA」の後ろ顔。


その手前には多種な客車が並んでいた。


奥には貨車が3両。


有蓋貨車にもオープンデッキが付いていた。


暫くすると屋根の下に停まっていた機関車が動き出した。


遠くのポイントの先で引き返し、手前の線に入って来た。


小さな給水塔と先の方には伝統的な様式の建物があった。


機関車は停まっていた客車を引き出して、ホームになっているところで停車。
10:00発の列車はこの740-101が牽引する客車4両編成だった。


往路機関車の後ろとなったボギー客車、E4451。
中央に大きく頑丈そうなスライドドアがあり有蓋貨車から改造した様に思える。


反対側にはオープンデッキがある。


床、壁、天井全面板張りの車内。
片端は貫通扉が無い。


背もたれも肘掛けも無いベンチ型の椅子が並ぶ。


2両目はオープンデッキのボギー客車、B3678。
車体に2という数字が描かれている。


車内は片通路で真上に荷棚がある3~4人掛けの座席。
壁の無いコンパートメント車の様なレイアウト。


片端はカウンタテーブルがあり売店みたいなコーナーになっているが、
壁になって開かずトイレの張り出しの様だった。


3両目CLs3598、外壁に斜めの補強が入っているが両端は窓を付ける為に外された様に見える。こちらは3という数字のプレートが取り付けられているが、等級なのか号車番号なのかわからない。


車内はロングシート配置の木板座席。
荷棚は無く、つかみ棒が天井に取り付けられている。


連結部はリンク式で渡り板と伸縮する柵があり車両間の行き来が出来る。


4両目0410、構造は1両目に似ているが、中央の扉は無く、両端オープンデッキで高く張り出たダブルルーフが特徴。


最後尾も角に支柱が無いオープンデッキ。


車内は間に固定テーブルのあるクロスシート向かい合わせ配置。
中央がカウンターになっている。


屋根の下の「ELIZA」を残して出発。
チャーター列車しか走らないが、駅より向こう側にも線路は国境を越えボスニア・ヘルツェゴヴィナのVisegradまで続いているらしい。


往路は一番後ろのデッキに立っていた。
座ったら移動し難いくらい混んでいたので、立ち席の切符で良かったかもしれない。


山間に入りかけた頃に客車を使った建物が見えた。
モクラ・ゴラ駅に行く前に立ち寄った保存車輛があった辺りで、
ちょっと奥に使われている線路が通っていた様だ。


遠くに見えた建物群は、入口まで行った映画セットの村Drvengradだろう。


線路を通すために切り崩したのか、線路の片側は岩肌になっていた。


この路線にはトンネルが多く、Sebija Vozのホームページによると22のトンネルがある。


トンネル内もカーブ。尚、軌間は760mm。


前半のトンネルでは照明が無く真っ暗になったが、室内照明はあり、途中から点くようになった。


往路はノンストップで駅は通過、
バイクか車で来たのかホームに人がいた。


出発から40分くらい経ったところで交換設備のある駅を通り、行き違い。


Jatape駅の端にもこの地域の様式の建物が建っていた。


扉付のトンネルもあった。
煙対策かとも思ったがŠargan Vitasiに着く寸前だったので
車庫代わりに使われるのかもしれない。


保存車輛群が見えŠargan Vitasiに到着。
Mokra Goraを出て1時間弱、、路線延長は15.5kmある。


保存車とは反対側に白煙を上げる蒸気機関車が停まっていた。


多くの乗客は駅舎の方へ向かったが真っ先に機関車側へ。
給炭設備も素晴らしい。


振り向くと切り離された機関車が見えた。


機回しで蒸気機関車の後ろを通過。、


ディーゼル機関車が反対側に連結されるまで蒸気機関車の傍にいた。


出発時刻を聞いてなかったので、連結されるとすぐに列車に戻る。


列車に戻ると蒸気機関車は小移動していた。
背後の機関庫にもう一台のディーゼル機関車が見える。


Šargan Vitasiは僅か10分程で折り返し。
編成の反対側はデッキが無いので復路も同じ辺りに立った。


行きより若干空いた様子だったので一歩客室内に入り撮影。


トンネルには番号が付いていて、復路に数字が大きくなる順番だった。


帰りは各駅に停車していき、Šargan Vitasiから10分程で最初の停車。
駅名標の様な看板があったが、後で訳してみると”Viewpoint-1”だった。


周囲に建物も道も見当たらず、眺めを楽しむための停車場の様だった。


発車時刻はわからないが、行き場もないので心配ない。


Viewpoint-1からの眺め。


木の合間から線路が確認できた。


少し動くと線路がよくわかる。


デッキから見るディーゼル機関車の顔。


バッファを兼ねたピン式の連結器。


目の前はディーゼル機関車だが、ボンネットの幅が狭いので意外と視界が広い。


トンネルの中。


数分走ると交換設備のあるJatape駅に到着。


機関車740-101の正面。
スノープラウが付いていた。


編成を望遠気味に撮ると貨物列車の様に見える。


40分後の12:20発車と聞いたので、
駅前の丘に登ってみた。。


駅の脇にカフェがあったが、丘から下りた時には混みあっていた。


樹々の向こうにDrvengradと思われる建物群が見えた。


こちら側には屋根付きの展望台があり、柵は古レールでできていた。


展望台からの眺め。


滝もあったがポンプで水を汲み上げている様だった。


モクラ・ゴラ側から正面のエンジンカバーを開けたL45H-098牽引の3両編成が到着。


2台のディーゼル機関車は型番の付け方から違う。


出発時刻を過ぎていたので行き違いを見てすぐに列車へ戻った。


信号機は腕木式で線路わきにワイヤが張られている。


2分くらい走っただけで次のGolubici駅に停車。


傍らには乗用車を改造した車両が保存されていたが傷みが大きかった。


ここにも展望台がありモクラ・ゴラが眼下に見えた。


そこからまた1分少々でまた停車。
Viewpoint 3の看板が立っていた。


こちらも展望台だけの停車場だった。


展望台からの眺め。


モクラ・ゴラに行く前に寄った保存車輛があった場所だった。


前のデッキに来る人が停車するごとに増えたので、同じ車両の後ろ寄りデッキに移動。


ちょうど通り掛かった車掌が、もうすぐ滝が見えると教えてくれて写真を撮れた。


13:00ちょうどにモクラ・ゴラ駅に帰着。


すぐに機関車が切り離され機回しが行われた。


ここでタクシーの運転手と再会。
13:30発と思われる次の列車の撮影も考えたが、
蒸気機関車の動きが気になったので、すぐŠargan Vitasiに向かう。


30分掛からずにŠargan Vitasiに到着。


蒸気機関車は少し機関庫に近付いていたが、1台で停まっていた。


火が入っていた機関車は83-052。


軸配置D1。


中欧で普及したタイプでこの83-052は1926年ドイツのメーカーjung製。


線路幅に対してボイラーが太い。


後ろ姿、テンダーには83-025というプレートが取り付けられていた。


キャブ下のプレートはMART2004、MAJ2013とレストア時の銘板だった。


キャブにも載せていただいた。


運転席は右側で速度計は100km/hまで目盛りがあった。


だいぶ後ろの方に座席はあるが、立って運転する様だ。


テンダーの石炭は少な目。


キャブから屋根の下にある保存機が見られた。


異なる点も多いが、同形の蒸機機関車が2台並ぶ姿が見られた。


静態機のある屋根は、一部だけ壁がある建物になっていた。


こちらは83-173、近付いてみると違いが多い。


同じ83形であるが第二次大戦後1949年のクロアチアのĐuro_Đaković社製。


屋根下側からも並びを撮った。


後ろの方にもう一台の機関車が置かれていた。


25-27はチェコのSkoda製のC形タンク機。


この機関車も数年前まで動ける状態だったらしい。


この屋根の下には客車やタンク貨車も並べられていた。


機関庫や保存車輛と反対側の先の方には古くわないが使われていなそうなパノラマ客車が置かれていた。


ホームから見える川の向こうにロータリー除雪車が展示されていた。
動輪が妙に大きい。


線路幅が広く、なぜここにあるのか疑問。
投雪部より前となる装置の上にキャブがある。


その後ろに車両の運転室もある。
スイスのrolbaというメーカーの銘版が付いていた。


13:50頃にŠargan Vitasi を後にし、一度ホテルに行って預けた荷物を受け取り駅へ行って貰い、ギリギリであったが予定していたより1本早い14:40発のベオグラード行きの列車に乗る事が出来た。



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